石川啄木「不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心」の意味や表現技法、文法を解説。この歌からの影響があると指摘される尾崎豊の曲「卒業」「十五の夜」を通して、尾崎と啄木の共通点についても考える。
この歌は、石川啄木の第一歌集『一握の砂』(1910〈明治43〉年12月1日発行)の中の「煙」と題された一連に収録されており、以下のように3行の分かち書きで表記されている。
不来方のお城の草に寝ころびて
石川啄木『一握の砂』「煙」
空に吸はれし
十五の心
歌の意味
歌の意味はこうだ。
不来方(こずかた)城に生えている草の上に寝転んでいたので、空に吸い取られてしまったかのような、15歳の私の心よ。
次のような情景が思い浮かぶ。十五歳の少年はきっと嫌なことがあったのだろう。気分転換に広々とした草むらにやってきて寝転んだ。目を開けると視界全体に広がる青空。しばらく空を見ていたら嫌な気分がしぼんでしまった。まるで空に吸い込まれたように。
「不来方城」は、岩手県盛岡市にある盛岡城の別名。上の写真は盛岡城の石垣だ。その下には草地が広がっている。
歌では、主語が省略されているが、短歌では「私」を補って読む。従って、寝転んでいるのは「私」であり、空に吸われたのも「私」の心である。
表現技法・句切れ
この歌では表現技法として、隠喩法が使われている。隠喩法は、たとえを表現するのに、「ごとし」「ようだ」などの語句を用いない修辞法のこと。反対に、直喩法では、「ごとし」「ような」などの語を用いてたとえるもの。直喩法の用例としては「陶器のようになめらかな肌」などがある。
隠喩法は、以下の部分で使われている。
空に吸はれし
十五の心
心が実際に空に吸われたのではなく、そのような気がしたということを隠喩法で表現している。直喩法で表現するなら「空に吸われしがごとき十五の心」となる。
また倒置法も使われている。通常の語順であれば、
十五の心
空に吸われき
(15歳の心が空に吸われた)
となるところ、倒置法で「十五の心」を後に持ってくることで強調すると同時に、体言止めになっている。句切れは、ない。
ここまでの短歌の基本情報は以下の通り。
収録歌集 | 『一握の砂』 |
表現技法 | 隠喩法、倒置法、体言止め |
句切れ | なし |
文法
「寝ころびて」は、「体を横たえる。ねそべる」という意味の動詞「寝ころぶ」の連用形+接続助詞「て」。「て」は、順接の確定条件を示す「~ので」の意味と解釈する。だから「寝転んでいる(た)ので」となる。
「吸はれし」は、「吸ふ」の未然形+受け身を表わす助動詞「る」の連用形+過去を表わす助動詞詞「き」の連体形。「歌の意味」のところでは、「吸われた」でもいいが、受け身のニュアンスを出すために「吸われてしまった」とした。
鑑賞
「不来方」の歌に込められた心情に迫るには、この歌が置かれた文脈を理解する必要がある。連作「煙」には主に中学時代を回想した次のような歌が並ぶ。
青空に消えゆく煙
さびしくも消えゆく煙
われにし似るか師も友も知らで責めにき
謎に似る
わが学業のおこたりの因教室の窓より遁げて
ただ一人
かの城址に寝に行きしかな学校の図書庫の裏の秋の草
黄なる花咲きし
今も名知らず夏休み果ててそのまま
かへり来ぬ
若き英語の教師もありきストライキ思ひ出でても
今は早や吾が血躍らず
ひそかに淋し盛岡の中学校の
石川啄木『一握の砂』「煙」
露台の
欄干に最一度我を倚らしめ
歌の語り手は、盛岡中学に通っていた。そして大人になってから当時のことを思い出して詠んでいる。どうやら学校では上手くいっていなかったようだ。「学業のおこたり」というから、勉強を怠けていたことが分かる。だから「教室の窓」から逃げ出したくもなる。
それだけでなく、ストライキを起こして学校側と争ったらしい。この場合のストライキは、生徒が団結して授業を受けないことを意味する。なかなかの問題児である。
ところが、今は当時を思い出しても「吾が血踊らず」、つまり気分が高揚することもない苦い思い出となっている。それどころか、将来の展望を抱けず、「消えゆく煙」のような悲観的な気分でいる。
大いなる夢を抱いて進学したはずの中学で、思うような成績を取れずに落ち込んでいる15歳。「不来方のお城」の一首の背景に、このような心情があったことを理解する必要がある。
中学時代の啄木
これらの歌に見られる中学生像は、実際の啄木と重なる部分が多い。
石川啄木(本名、石川一はじめ)は、1886(明治19)年2月20日岩手県南岩手郡日戸村に生まれた。通常よりも1年早く尋常小学校に入学。主席で卒業し、神童と呼ばれていた。
13歳で、岩手県盛岡尋常中学校(後の盛岡中学)に進学した啄木は、金田一花明(京助)ら上級生の影響で文学に目覚める。さらに当時女学生だった堀合節子と出会い、恋に落ちる。啄木は、恋愛と文学に夢中になり、学業がおろそかになっていく。
当時の盛岡中学では、古くからいた教員と東京など他地域から来た新しい教員との間に対立があった。新しい教員に共感する生徒らが巻き込まれる形でストライキへと突入した。啄木は、新しい教員に同情してこれに参加した。歌に詠まれているのはこのときのストライキでの経験である。
結局、恋と文学に忙しい啄木は、学業に身が入らず、定期試験に苦労する。そしてカンニングに手を染めてしまう。これが発覚し、学校から譴責処分を受けた啄木は、退学届を提出し、学校を去った。
その後の啄木は小学校の代用教員や新聞記者など職を転々としながら短歌のほか詩や小説を書き、知人に借金を繰り返した挙げ句、結核を患い26歳で世を去った。不遇の人生だった。
尾崎豊「卒業」「15の夜」への影響
啄木が学校を中退したおよそ100年後の1983年、シンガーソングライターの尾崎豊がデビューアルバム『十七歳の地図』を発売する。
尾崎の曲「卒業」や「15の夜」には啄木からの影響があると指摘されている。
「卒業」は、「校舎の影 芝生の上 すいこまれる空」と歌い出される。さらに「行儀よくまじめなんて 出来やしなかった/夜の校舎 窓ガラス壊してまわった」というフレーズが出てくる。
啄木の場合、後から中学時代に学校に馴染めなかった自分を思い出して感傷に浸っている趣があるのに対して、尾崎の場合、学校や大人に対する現在進行形のいらだちを表現している。そうした違いはあるものの、確かに啄木の「空に吸はれし」の歌と言葉の使い方は似ている。
「15の夜」では、「落書きの教科書と外ばかり見てる俺/超高層ビルの上の空 届かない夢を見てる」と歌い出す。「校舎の裏 煙草をふかして見つかれば逃げ場もない」と状況を描写し、「誰にも縛られたくないと 逃げ込んだこの夜に/自由になれた気がした 15の夜」というよく知られたフレーズが繰り返される。学校や大人への不信やいらだちという気分もあり、「15の夜」というタイトルは、当然啄木の「十五の心」を連想させる。
尾崎と啄木の共通点もこうした見方の根拠となっている。尾崎は青山学院高等部に通っていたが、喫煙や飲酒を理由に停学処分を受け、後に自主的に退学した。尾崎と啄木とでは理由が異なるもののともに学校生活に馴染めず退学したという点は共通する。さらに両者がともに26歳で夭折したところも一致する。
しかし、尾崎豊は石川啄木を本当に読んでいたのだろうか。
「卒業」を収録した、尾崎豊のアルバム「回帰線」
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尾崎豊と短歌
尾崎は幼い頃から父親の影響で短歌に親しんでいたことが知られている。村上龍との対談で短歌を披露している。
ウチのオヤジは空手と尺八の先生なんですよ。で、短歌もやってたんで、僕も詩を書いたり短歌を書いてみたりしてて。僕がいちばん最初に書いた短歌っていうのが、山登りに行った時に創ったもので「父のあと 追いつつ下る 山道の 木の葉漏る陽の かすかに射せり」っていうものなんです。
村上龍との対談「獰猛な異物」『文藝別冊 尾崎豊』
写実の手法で、山道で父を追う場面が切り取られている。言葉の選択も的確。「漏る」「射せり」と文語を使っているところにセンスを感じる。中学生ぐらいで詠んだのだろうか。最初の短歌でなかなかここまでできないはずだ。
父が短歌を詠んでいたなら自宅に啄木の歌集があったとしても不思議ではない。尾崎がこれを手に取り、啄木の表現や境遇に共感を抱くことは十分に考えられる。
一方で、学校に馴染めない生徒の行動や考えることは100年前も1980年代も、そして2020年代も大して違わないのではないかという気もする。落ちこぼれた生徒は、学校や大人たちに反発し、校舎や図書館の裏に居場所を見つける。目の前の現実を忘れるために空も見上げるはずだ。早急に自由を求めるのであれば学校を去るほかない。そういう意味では、啄木と尾崎の言葉が似てくるのも当然だと言える。
啄木も尾崎も学校や大人へのいらだちを表現し、人の心を打つだけの才能を持っていた。それだけは確かだ。
参考文献
玉城徹『現代短歌鑑賞 石川啄木の秀歌』(短歌新聞社)
岩城徳之『石川啄木・短歌シリーズ人と作品』(おうふう)
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