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【あらすじ・相関図】「舞姫」森鴎外 豊太郎のダメなところとは?

森鴎外「舞姫」の登場人物相関図国語
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高校の国語で学習する「舞姫」(森鴎外)について詳しいあらすじと人物相関図のほか、時代背景や読みのポイントを解説する。この小説の語り手、太田豊太郎は、明治時代のエリート官僚。彼は、親の期待に応えて勉強に打ち込み、大学をトップの成績で卒業した。国家建設を担う官僚としてドイツに派遣されると、これまでの自分に疑問を抱きはじめる。親に言われるまま生きる「器械」のような人間に意味はあるのか、と。

「舞姫」は難しい小説だ。文語文で書かれていて読み通すのに苦労する。主人公、太田豊太郎のエリート官僚という設定も、現代の若者は、親しみを感じにくいはずだ。しかし、豊太郎が抱えていた悩みは、現代の若者にも通じる普遍性がある。

豊太郎は、親の期待に応えようと真面目に勉強してきた自分(キャラ)と〈本当の自分〉との落差に悩んでいた。現代でも親から言われるままに、塾へ通い、中学を受験したり、友人がみんな行くからという理由で、特に大学で勉強したいことがなくてもとりあえず進学する人は少なくないだろう。こんな自分は「本当の自分ではない」と思っている人もいるにちがいない。そのような視点から読めば、豊太郎の苦悩は自分と似ていると感じられるはずだ。

豊太郎のドイツ留学は、そこで本当の自分に目覚めたという意味で、「自分探し」の旅だった。現代でも、「自分探し」をするため、海外語学留学やワーキングホリデーなどで外国に長期滞在する若者は少なくない。こうした点でも、豊太郎は、現代の若者を先がけていたと言える。

豊太郎は、勉強熱心な秀才キャラと〈本当の自分〉との折り合いをつけることができたのか、あるいはできなかったのか。それを考える前に、まずあらすじを確認しておきたい。

※記事中の「現代語訳」は、『現代語訳 舞姫』(ちくま文庫)に収録された井上靖・訳を参照した。

あらすじと主な登場人物

簡単なあらすじ

エリート官僚、太田豊太郎(おおたとよたろう)は、ベルリンに留学する。そこで、踊り子のエリスと出会い、恋に落ちる。ところがエリスとの交際について、同じ留学生の同郷人に悪い噂を立てられ、それが原因で豊太郎は、免官(官職をやめさせられる)される。

仕事を失い、栄達の道を断たれた豊太郎は、友人の相沢謙吉から大臣・天方伯を紹介される。天方伯から語学の才能を評価された豊太郎は天方伯に共に帰国できることとなる。一方、豊太郎の子を妊娠していたエリスは、豊太郎が帰国することを相沢から知らされ、パラノイア(妄想症、妄想を抱く精神病)を発症する。そんなエリスをベルリンに残し、豊太郎は日本に向けて出港した。

詳しいあらすじ

帰国する船の中で

太田豊太郎を乗せた船は、日本に向かう途中、セイゴン(サイゴン)の港に停泊していた。豊太郎は、ある恨(うらみ)を抱えて苦しんでおり、他の客が上陸する中、客室にとどまりその顛末を書こうとしていた。

早くに父を亡くした豊太郎は、厳しい家庭教育を受けて育った。旧藩の学館(江戸時代の各藩で士族の子弟を教育した藩校)でも、東京の予備校(大学予備門。現在の東大教養学部の前身)でも、東京大学法学部でも常に一番の成績だった。19歳で学士号を取得し、「某省」に職を得た。

故郷の母を東京に迎え、3年ほど楽しい毎日を送った後、省の官長から留学の命令を受ける。出世して家を再興(低迷していた家を再び勢いづかせる)するチャンスと考え、ドイツのベルリンにやってきた。

ベルリン大学の自由な空気に触れる

日本からやってきた若者にとってベルリンの街は、物珍しいものであふれていた。しかし、豊太郎は、そうした刺激に反応しないよう心に決め、現地の役所を訪問し、役人に教えを請い、時間があればベルリン大学で法律の講義も受けた。

ベルリンでの生活も3年程が過ぎた。これまで父の遺言を守り、母の教えに従って勉強に励んできた。また官長に評価されるのが嬉しくて熱心に働いてきた。しかし、ベルリン大学の自由な雰囲気に触れて自分が「所動的、器械的の人物」(※所動:受け身)になっていることに気づく。そして政治家や法律家になって出世することは自分にふさわしくないと思う。大学では法律の講義から遠ざかり、歴史や文学に面白さを感じていた。

同郷人と交わらない豊太郎

豊太郎は、親の言いつけを守り、学問に励み、官僚になったが、それは自分を欺いて、言われた道を進んだ結果である。ほかのことに関心を向けることを恐れて、自分の手足を縛ったのである。

故郷にいるとき、豊太郎は、自分が有為(役に立つこと。才能のあること)の人物であり、忍耐力もあると信じていた。また留学に出発するまで豪傑だと思っていた。しかし、船が日本を離れると涙が止まらなかった。豊太郎自身、その時は涙を流すことを奇妙だと感じたが、これが自分の本性であり、生まれながらの心であると今は思う。

豊太郎は、同じ留学生仲間(同郷人)と親しく交わらなかった。そのため彼らから嘲りや妬みのほか、さらに疑いの目を向けられることになる。

エリスと出会う

ある日の夕暮れ、クロステル地区の古い寺院の前で、豊太郎は、泣いているエリスと出会い、声を掛けると「我を救ひ玉へ(現代語訳:私を救って下さい)」と頼まれた。聞けば、エリスの父が死んだのに家葬式を出す費用もない。費用を工面するため、エリスは母から「ヰクトリア」座の座頭、シヤウムベルヒに身を売るように言われていたが、それを拒んだため母から殴られたという。

豊太郎は、エリスを家まで送る。待っていたのは貧しい身なりの老婆(エリスの母)だった。部屋の灯りで見たエリスは、貧しい家の娘とは思えないほど美しかった。エリスから金を借してほしいと求められた豊太郎は、金の代わりに時計を渡す。後日、エリスは豊太郎の借り住まいを訪問。それ以降、2人の交際は頻繁になる。

免官と母からの手紙

2人の関係を知った同郷人は、豊太郎が女優と交際していると官長に報告。それを受けた官長は豊太郎を免官(官職を辞めさせること)した。

職を失った豊太郎は、帰国するか、ベルリンにとどまるか迷っていた。そのとき、2通の手紙が届く。1通は母から。もう1通は親族から母の死を報せるものだった。

免官にされたショックと、母を失った悲しみが重なり、豊太郎は失意の底にあった。そうした豊太郎をエリスは、憐れんだ。自分に思いを寄せるエリスのいじらしい姿に心をつかまれた豊太郎は、彼女に対する愛情を深め、2人は「離れ難き」関係になった。

相沢謙吉に助けられる

学業を続ける資金を失った豊太郎に、救いの手を差し伸べたのは留学仲間で、天方伯の秘書官を務める相沢謙吉だった。相沢は、豊太郎の免官を知り、新聞社の通信員としての仕事を手配した。

通信員の報酬は少額だったので、豊太郎はエリスの申し出を受け、エリスと母が住む家に引っ越すことにした。こうして貧しいながらも楽しい生活が始まった。

エリスが踊りの練習に行くと、豊太郎は、「休息所」を訪問。そこにある新聞を読んで新聞社に送る記事の材料を集めた。エリスは練習の後、豊太郎と落ち合って一緒に家路についた。

豊太郎は、大学の学問からは遠ざかったものの、ドイツの新聞雑誌を毎日読むことで、これまでとは違った見識を持つようになった。

エリスの悪阻(つわり)、そして天方伯と面会

明治21(1888)年冬、エリスが食べ物を吐くなど体調を崩した。どうやら悪阻つわりらしい。そこに、天方伯に随行してベルリンに来ている相沢から手紙が届く。甘方伯が豊太郎に会いたがっているという。

豊太郎はエリスが用意したフロックコートに着替え、馬車に乗って、天方伯が待つ高級ホテル「カイゼルホオフ」に向かった。豊太郎は和文をドイツ語へ翻訳する仕事を天方伯から依頼された。

天方伯との面会を終え、豊太郎は、相沢と昼食を共にした。その席で相沢は、豊太郎の能力を示して天方伯の信頼を得よ、そしてエリスとの関係を断てと豊太郎に助言した。

豊太郎は、貧しくても今の生活は楽しく、エリスの愛も捨てがたいと思いながらも、相沢にエリスとの関係を断つことを約束した

ロシアに随行、通訳として活躍

翻訳の仕事以降、天方伯の元へ頻繁に通うようになった豊太郎は、1カ月ほど過ぎたある日、ロシア行きに同行するよう天方伯から求められた。ロシアの首都ペエテルブルク(サンクト・ペテルブルグ)で豊太郎は、得意のフランス語を駆使して通訳として活躍する。

ロシアにいる間、豊太郎はエリスから毎日手紙を受け取った。エリスは、手紙で豊太郎と離れていることの寂しさを訴え、自分を捨てないように懇願し、豊太郎に従いて日本に行く決心を語った。

天方伯から帰国の提案

ロシアでの滞在を通して、豊太郎は、天方伯から信頼を得たことを確信した。相沢がときどき帰国後のことを話題にするのも、天方伯の意向を受けてのことと推察できる。

ドイツに来てから二度と「器械的な人物」にならないと誓ったが、今は天方伯に操られる「器械的な人物」になっていると豊太郎は思った。

元旦の朝、ベルリンに帰った豊太郎は、エリスの出迎えを受けた。しかし、この時になっても帰国するかベルリンに残るか決断できずにいた。部屋に入った豊太郎にエリスは産着を示して、妊娠していることを告げた。

その後、天方伯に呼び出された豊太郎は、一緒に日本に帰ることを提案される。この機会を逃しては、故郷に戻れず、免官によって失われた名誉を挽回する道が断たれると考え、この提案を承知した。

相沢がエリスに顛末を伝える

家に帰りながら豊太郎は、自分は「罪人」であるという思いにとらわれた。家に到着すると高熱を出してそのまま気絶してしまった。意識を取り戻したのは数週間後で、傍らにいるエリスは、ひどく痩せ、目は血走って落ちくぼみ、頬の肉はそげていた。

後で分かったことだが、豊太郎が昏睡している間に、相沢が来訪し、豊太郎がエリスと別れる約束をしたこと、天方伯に従いて帰国することをエリスに伝えていた。

パラノイアになったエリス

それを聞いたエリスは、豊太郎に欺かれたことを嘆き、その場に倒れてしまった。エリスは精神の働きがほとんど無くなり、赤子のようになった。医者の診断は「パラノイア」で、治療の見込みはないという。

帰国する前に、豊太郎は相沢と相談して、エリスの母に生計を営むに足りるだけの資金を渡し、エリスの出産時の世話も頼んだ。

相沢は良い友人だが、彼を憎む気持ちが豊太郎の中に今も残っている。

主な登場人物とその説明を以下の表に整理した。

表1:登場人物の一覧と相関図

人物説明
太田豊太郎     士族の生まれで将来を嘱望されるエリートの官僚。神童と呼ばれ、藩校を経て、大学で法学を学び、19歳で学士号を取得。25歳でドイツ・ベルリンへ留学し、エリスと出会う。同郷人の中傷により免官。
エリス姓はワイゲルト。貧しい仕立物師の家に育った。年齢は16、7歳で踊り子としてヰクトリア(ヴィクトリア)座の舞台に立つ。十分な教育を受られず、15歳で舞踊を習い始めた。父の死後、母と暮らしていたが、後に豊太郎と同居。豊太郎と恋に落ち、妊娠するが、豊太郎が一人で帰国する考えだと知り、パラノイアを発症する。
相沢謙吉豊太郎の留学仲間で友人。天方伯の秘書官を務める。免官された豊太郎の将来を天方伯に紹介。エリスとの関係を断つよう忠告する。豊太郎が一人で帰国することをエリスに伝えた。
天方伯華族で伯爵の位を持ち、大臣を務める。豊太郎の能力を評価し、帰国を提案する。
豊太郎の母士族の出身。官僚となった息子に期待していたが、豊太郎の留学中に他界した。
エリスの母夫の死後、エリスにシヤウムベルヒと関係を持つよう命じ、これに従わないエリスを殴った。
官長某省で豊太郎の上司。豊太郎にドイツに派遣した。後に同郷人から豊太郎とエリスの交際を知らされ、豊太郎を免官した。
同郷人ベルリンの日本人留学生。自分たちと交わろうとしない豊太郎に対する嫉みや疑いから、エリスとの交際を官長に報告した。
シヤウムベルヒヰクトリア(ヴィクトリア)座の座頭。父を失い、葬儀費用を工面できないエリスの弱みにつけ込み、肉体関係を迫った。

登場人物の相関図を作成した。

森鴎外「舞姫」の登場人物相関図

時代背景

この小説を理解する上で重要になるのが、豊太郎の「栄達」へのこだわりである。栄達とは、高い地位の官僚になり立身出世することである。

一時は免官され官僚としての地位を失った豊太郎だが、大臣である天方伯に才能を認められ、帰国を提案された。大臣の下で働くことになれば、国家の中枢に役割を得たことになり、豊太郎は、立身出世の願いを実現できる。

この立身出世への執着こそが、妊娠中で心を病んだエリスをベルリンに残してまで帰国を選んだ理由だった。大臣の下で働くには、免官の理由となったエリスとの関係を断つ必要があったのだ。

しかし、豊太郎はなぜそこまでして「立身出世」にこだわるのか。

豊太郎は、官長からベルリン行きを命じられたときの心境を「我名を成さむも、我家を興さむも、今ぞとおもふ心の勇み立ちて(現代語訳:自分が出世するのも家をおこすのもこの時にありと思う心が勇み立って)」と書いている。海外留学によって最先端の学問、知識を習得し、帰国後に官僚として大きな仕事を成し遂げる。そうすれば自分の名を上げ、家を繁栄させられる。このチャンスを逃したくない、そう思ったということだ。

成功して社会的に高い地位を手に入れようとするのが立身出世だが、豊太郎の場合、個人として名を上げたいというだけでなく、「家」を盛り上げたいという思いが重ねられていたところにこの時代特有の事情がある。この点については後で詳しく解説する。

天方伯に同行したロシアからベルリンに戻った豊太郎は、エリスに再会する直前の心境を「故郷をおもふ念と栄達を求むる心とは、時として愛情を圧せんとせし(現代語訳:故郷を憶う気持と栄達を求める心とは、時には愛情をおしつぶそうとしていた)」と語る。つまり、故郷(日本)に戻り、栄達(立身出世)したいと思う心が強く、エリスへの愛情を上回っているというのだ。

エリスと一緒にいたければ、ベルリンに残り、別の仕事を探せばいい。豊太郎ほどの能力があれば、ジャーナリストや実業家としても十分成功できたに違いない。しかし、豊太郎はどうしても国家の役に立つ形で出世する必要があったのだ。それはどういうことか。

士族が願う立身出世

豊太郎が、立身出世家を興すことに強い執着を示した背景には、当時士族の置かれた苦しい立場がある。

1870(明治3)年、明治政府によって、江戸時代の身分制が廃止された。いわゆる「四民平等」である。これによって武士(士族)は、それまでの支配階級としての立場を失った。さらに、帯刀を禁ずる帯刀禁止令(1876年)と政府が士族に支給していた給与を廃止する秩禄処分(1876年)によって武士として受けていた特権を失った。そのため士族は経済的に困窮し、多くがいわゆる「没落士族」と呼ばれるようになった。

武士にとって家の存続は最重要課題であり、家運(家の運命)の没落は、先祖を汚す行為と考えられた。だからこそ没落士族にとって、大きな犠牲を払ってでも家運を再興する必要があった。

特権と名誉を失った士族は、国家の中枢を担う官僚または政治家になることで名を上げ、家運を高めることを目標にした。これが士族の目指した「立身出世」である。

豊太郎は、「旧藩の学館にありし日(現代語訳:旧藩の学校にあった日)」と書いている。これは、彼の家が士族であり、子供時代に士族の子を教えた藩校に通ったことを示している。つまり豊太郎の一家も没落士族だったのだ。一人息子であり、父を失った家で、母の期待を一身に受けていた豊太郎は「余は幼きころより厳しき庭のをしへを受けし(現代語訳:私は幼い頃から厳しい家庭教育を受けていた)」。豊太郎は、没落した太田家を復興させるため、幼い頃から勉強に打ち込むように指導され、出世することを期待された。そのかいもあり、東京大学法学部に入学。成績はいつもトップだった。

卒業後は「某省」の官僚となり、故郷から母を東京に呼び寄せた。そして「楽しき年を送ること三とせばかり(現代語訳:三年ほど楽しい毎日を送った)」。エリート官僚としての出世コースを歩み始めた息子に母も大いに満足し、太田家の明るい未来を夢見たにちがいない。そして豊太郎はベルリン留学を命じられる。

ベルリンで、豊太郎はエリスと出会い、恋に落ちる。そのことが原因で免官される。これまで順調に歩んできた立身出世の道から外れてしまった豊太郎のピンチを救ったのが、友人で留学仲間だった相沢謙吉だった。相沢は、豊太郎と天方伯を引き合わせ、帰国する道筋を用意した。一方、妊娠していたエリスは、心を病んでベルリンに置き去りにされた。

結局、豊太郎は、相沢に導かれるかたちで、士族としての立身出世を選び、エリスとの関係を断った。没落士族にとって立身出世と家の復興は愛するエリスを犠牲にしてまで優先すべき目標だったのだ。

華族と伯爵

もう一つ理解しておきたいのが、「天方伯」の立場である。本文中、天方伯は、「伯」とも呼ばれる。伯は伯爵を指す。伯爵は、華族に授けられた爵位の一つ。爵位には上から公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵の5つがある。

華族は明治時代につくられた身分で、皇族の下、士族の上に置かれた特権階級だった。1869(明治2)年、江戸時代の公卿くぎょう、大名の家系が華族となり、1884(明治17)年の華族令により、功績を残した政治家、軍人、官吏、実業家も華族に加えられた。華族は、1947(昭和22)年に廃止された。

明治維新によって特権を得る側にいたのが華族である天方伯であり、逆に特権を失う側にいたのが士族である豊太郎だった。ここには、明治維新がもたらした運命の明暗がある。しかし豊太郎が、免官後の境遇から抜け出すためには、天方伯に頼る以外に道はなかった。

伯爵であり大臣でもある天方伯に仕え、功績を残せば、立身出世を実現できるばかりか、場合によっては士族から華族へと昇格する道も見えてくる。豊太郎は、そのようなチャンスをなんとしても手に入れて、父と母に託された「家」復興という宿願を果たす必要があった。

「まことの我」と「我ならぬ我」

勉強一筋で生きてきた豊太郎は、日本にいるときは母の監視もあり、女性と交際することもなかったと思われる。そんな豊太郎が、なぜ異国の地で踊り子と恋に落ちたのだろうか。エリスと関係を深めなければ、豊太郎はこれほど苦悩することもなかった。

きっかけは、親元を離れ、伯林(ベルリン)大学の自由な雰囲気に触れたことである。25歳の豊太郎は、今までの自分は、親と官長に言われるままに生きてきた「所動的、器械的な人物(現代語訳:消極的、器械的な人物)」だったと気付く。そこには自分の意志や自分らしさが欠けていた。当時の心理を豊太郎は以下のように語る。

今二十五歳になりて、既に久しくこの自由なる大学の風に当りたればにや、心の中なにとなくおだやかならず、奥深くみたりしまことの我は、やうやう表にあらはれて、きのふまでの我ならぬ我を攻むるに似たり

(現代語訳:今や私も二十五歳、既に久しくこの大学の自由な気風の中に身を置いたためであろうか、心中なんとなくおだやかならず、自分の中に奥深くひそみかくれていた真の自分が漸く表面に現われて来て、昨日までの自分でない自分を責めるような具合になった

「舞姫」

豊太郎は、立身出世を求める母から離れて、大学で学びながら自由を謳歌し、法律よりも歴史や文学に面白さを感じていた。そうした環境にあって、自分の奥深くに潜んでいた「まことの我(現代語訳:真の自分)」があらわれる。豊太郎は、母の基を離れ、3年が過ぎ、25歳になってようやく自分の生き方を振り返る余裕を手に入れたということだ。遅い反抗期がやってきたと言ってもいい。

この後、豊太郎は、これまで生きてきた「我ならぬ我(現代語訳:自分でない自分)」と留学先で手に入れた「まことの我」、これら2つの「我」に引き裂かれて追い詰められていく。冒頭で書いた「勉強熱心な秀才キャラ」は「我ならぬ我」、〈本当の自分〉は「まことの我」のことである。

豊太郎が提示した「我ならぬ我」「まことの我」という視点から見ると、小説はこれら2つの「我」の生きる世界の対立として描かれていることが分かる。小説に登場する様々な要素(人や物事)は、これら2つの「我」を軸に分類できる。「まことの我」と関係が深いものが、エリスや大学の自由、歴史文学などであり、「我ならぬ我」と関係が深いものが家や父母、相沢謙吉、栄達などである。それらを整理したのが以下の表である。

表2:太田豊太郎の2つの「我」と関係する要素

まことの我我ならぬ我
関連する事物ベルリン
エリス
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クロステル街
大学の自由
歴史文学
シヨオペンハウエル
シルレル
家、故郷、本国(日本)
父、母
栄達(立身出世)
政治、法律
天方伯
相沢謙吉
官長
所動的、器械的な人物


小説では、「我ならぬ我」と「まことの我」について説明があり、豊太郎は留学生仲間と一緒にビールも飲まず、ビリヤード(球突き)も楽しまず、カフェにいる女に声をかけられない。勇気がないのだ。娯楽や交友を一切断ち、勉強に打ち込んできた。そんな真面目一筋で生きてきた「我ならぬ我」が強調される。

一方、「まことの我」は、「我ならぬ我」が「所動的、器械的」だったことに対する反発として、これまで避けてきた行動に豊太郎を駆り立てる。カフェの女に声をかけられなかった豊太郎が、自らの意志で道端で泣いている少女、エリスに自分から話しかけるのだ。

父の葬儀費用を工面できず身売りを迫られていたエリスに、豊太郎は、質草代わりの時計を渡し、窮地から救った。以降、2人は頻繁に交際するようになるのだが、それが官長に伝わり、豊太郎は免官される。当時の日本では俳優(踊り子を含む)に対する偏見が強く蔑視の対象だった。地位のある人が俳優と交際することは不祥事とみなされた。エリスと交際していた豊太郎が免官された背景には、こうした当時の偏見がある。

免官の直前、豊太郎は2通の手紙を受け取る。1通は母から、もう1通は親族からだ。母からの手紙に何が書かれていたか、豊太郎は語らない。親族からの手紙は、母の死を報せるものだった。母の死を受け深い悲しみの中にあった豊太郎は、エリスと「離れ難き中」となる。つまり肉体関係を持った。母の存在は、豊太郎の自由な行動を縛っていた。常に母の視線を感じていた豊太郎は、仲間と遊んだり、女性と交際したりする勇気を持てなかった。しかし母の死によって、豊太郎の中に残っていたブレーキは消滅した。そして「まことの我」の力が強くなり、豊太郎にエリスとの関係を一歩深めさせるように後押ししたと考えられる。

母の代理としての相沢

小説では他界した母と入れ替わるように、相沢謙吉が登場する。相沢は、豊太郎の才能を評価し、エリスとの関係を絶たせ、立身出世の道に引き戻そうとするという意味で、母の代理としての役割を担う。

豊太郎は、相沢と天方伯と面会する直前、心配するエリスに次のように話した。

政治社会などに出でんの望みは絶ちしより幾年いくとせをか経ぬるを(現代語訳:政治社会などに出ようという望みを絶ってから大分経っているのに)

「舞姫」

政治社会に出る望みを絶ったということは、栄達や立身出世の夢は捨てたことと同じだ。エリスにこう語っていた豊太郎は、天方伯と会い、相澤から今後の方針を示されたことで、再び立身出世の道を探りたいという気持ちを抱く。エリスとの関係を優先するなら、そのまま栄達の道を捨て、二人でベルリンに暮らせばいい。しかし、豊太郎は立身出世を実現するためエリスを捨てて、帰国を選択する。

なぜか。この豊太郎の心変わりは、2つの「我」という視点から次のように説明できる。親の意のままに成長した「我ならぬ我」(所動的、器械的な人物)が、大学の自由に触れ、自分を辞書にしようとしていた母、法律にしようとした官長に対する反発心が芽生える。さらに母の監視が消えたことで、「我ならぬ我」に裂け目が生じ、「まことの我」(本当の自分)が表れる。そして豊太郎は「器械的人物」とはならず、自分の意志に従って生きよう決心する。

母の死によって「まことの我」はさらに力を強めるが、時間が経つにつれて豊太郎の中で母の願いだった「栄達」(立身出世)の存在が次第に大きくなる。次いで母の代理としての相沢が登場し、栄達の道筋を示すことで「まことの我」が動揺し、「我ならぬ我」が再び勢いを取り戻す。ついに豊太郎は、生前の母の思いから逃れることができず、元の「我ならぬ我」(所動的、器械的な人物)に戻る。

この変化の推移を以下のように示すことができる。

「我ならぬ我」 →(大学の自由、母、長官への反発)→ 「まことの我」 →(母の死、相沢の登場)→ 「我ならぬ我」

豊太郎は留学中の一時期だけ「まことの我」を生きるが、再び「我ならぬ我」に支配され、「まことの我」は奥深くに隠される。そのため「まことの我」は豊太郎の中から消えたわけではなく、何かのきっかけで再び、表面化することが予想される。そして、豊太郎は「まことの我」と「我ならぬ我」の間を揺れ動き、周囲に再び不幸を呼び寄せるにちがいない。

豊太郎は、一連の行動は、外国語に秀でたエリート官僚でも、人生の選択では優柔不断で、弱い者(エリス)を切り捨てるような決断をすることを示している。豊太郎の何が問題だったのか改めて考えたい。

豊太郎のダメなところ

私の考えでは、豊太郎には以下の3つのダメなところがある。

ダメなところ1:エリスと相沢に良い顔を見せて問題から逃げたこと

ダメなところ2問題を解決しようとせず、成り行きに任せたこと

ダメなところ3エリスがパラノイアになった責任を相沢に転嫁したこと

これら3つのダメなところを改めて見てみよう。

ダメなところ1:エリスと相沢に良い顔を見せて問題から逃げたこと

豊太郎が天方伯と面会する直前、何かを予感したエリスは豊太郎に「われをば見棄て玉はじ(現代語訳:わたしをお見棄てにならぬように)」と釘を刺す。それに対して、豊太郎は答える。

政治社会などに出でんの望みは絶ちしより幾年いくとせをか経ぬるを。大臣は見たくもなし。唯年久しく別れたりし友にこそ逢ひには行け。(現代語訳:「政治社会などに出ようという望みを絶ってから大分経っているのに!大臣は見たくもない。ただ年久しく別れている友には逢いたい。逢いに行くのである。)

「舞姫」

政治社会へ出る望みを断って何年も経っていると、栄達(立身出世)の夢はもはや捨て去ったと決心したかのように話しているが、実は心の奥では諦めていない。だから、相沢から「学識あり、才能あるものが、いつまでか一少女の情にかゝづらひて、目的なき生活なりはひをなすべき(現代語訳:学識があり、才能あるものが、いつまでも一少女の情にかかずらって、目的のない生活をなすべきであろうか)」と栄達(立身出世)の道を歩むべきと説得され、豊太郎の決心はたちまちゆらいでしまう。そして、相沢から「意を決して断て(現代語訳:意を決して、交りを断て)」と迫られて、豊太郎はエリスと別れることを約束する。

このようにエリスにも相沢にも良い顔を見せることで、それぞれに矛盾したことを言ってしまう。こうした言動が後で問題になることは目に見えているのに、豊太郎はそれをあいまいにしたまま逃げてしまう。

ダメなところ2:問題を解決しようとせず、成り行きに任せたこと

豊太郎は、エリスにも相沢にも調子のよいこと言って、問題の種をまいた。これはいずれ大きくなることは分かっている。しかし、豊太郎は問題を解決しようとしない。

この後、豊太郎は、天方伯のロシア訪問に同行し、現地で通訳として活躍する。自分の仕事ぶりで天方伯の良い評価を得たと手応えも感じていた。だが、ロシアから帰ってきても、まだ豊太郎は帰国する意志があることをエリスに伝えることができない。

天方伯から日本へ一緒に帰ることを提案され、豊太郎は提案を受け入れる。豊太郎は、いよいよエリスに帰国について伝えなけばならないのだが、極寒のベルリンの街を長時間さまい、体調を崩す。そしてエリスの家に到着した豊太郎は、意識を失い、寝込んでしまう。その間に訪問した相沢が、エリスに顛末を語り、エリスの心は壊れた。

豊太郎は、自分の言葉でエリスに帰国の意志を伝えて理解してもらう必要があった。しかし、それをしなかったことで相沢が豊太郎の代役を務めなければならなかった。

ダメなところ3:エリスがパラノイアになった責任は相沢にあると考えたこと

豊太郎は自分で問題を解決することから逃げ、相沢の対応にまかせてしまった。相沢としては、当然、豊太郎からエリスへすでに伝えられたものと思って帰国の件を口にしたのだ。それなのに、豊太郎はエリスの心が壊れたことに関して相沢を「憎む」。

嗚呼、相沢謙吉が如き良友は世にまた得がたかるべし。されど我脳裡なうりに一点の彼を憎むこゝろ今日までも残れりけり。(現代語訳:ああ、相沢謙吉のような良友は、世に再び得難いことであろう。しかし、そうは言うものの、私の脳裡に一点の彼を憎む気持は今日まで残っているのである。)

「舞姫」

相沢は良い友人だが、エリスの件に関して憎む気持ちがあると、豊太郎は語っている。豊太郎がエリスに帰国について説明しておかなかったことが悪いのに、相沢に責任があるかのような言い方である。このように他人のせいにして、自分の責任を引き受けないでいたら、いつまでたっても豊太郎は人として成長できないだろう。

原因としての「弱き心」

豊太郎がこのように自分の問題から逃げてしまう原因はどこにあるのだろうか。豊太郎自身は「弱き心」にあると認識している。

豊太郎は、自分には「勇気」が無く、心が弱い人間であると繰り返し説明する(「我心は処女に似たり」「弱くふびんなる心」「臆病なる心」「弱き心」)。そして、豊太郎がエリスと交際を始めた原因は、こうした「弱き心」だと説明する。さらに、エリスと別れがたいと感じていながら、一方でエリスと別れることを相沢に約束したのも「弱き心」に原因があると説明する。

自分がこの「弱き心」を持つようになったのは、「此心は生れながらにやありけん、又早く父を失ひて母の手に育てられしによりてや生じけん(現代語訳:こうした心は生まれながらのものであろう。早く父を喪って母の手に育てられたことによって生じたものでもあろう)」と語る。ここでの豊太郎の言い分は、「弱き心」は生まれつきの性格であり、母に育てられたことで改善しないでここまできたので、自分ではどうしようもないと言い訳しているに等しい。つまり改善できない自分の短所だというのだ。

こうした考えには、自分の優柔不断な態度に対する反省が欠けている。自分の責任を認めようとしないため、豊太郎は自分の問題を改善するきっかけをつかめないだろう。彼は今後も同じ失敗を繰り返すことが容易に想像できる。

人生は、難しい選択の連続である。その選択を間違えることは誰にでもある。しかし、選択を誤った場合、その結果を引き受けなければならない。選択の結果を引き受ける覚悟がなければ、いつまでも「所動的、器械的」なままで「まことの我」を生きることはできない。

しかし、豊太郎は自分の意志で人生の進路を選択し、その責任を引き受けることを恐れて、重要な決断を先延ばしする。自分の失敗に直面することを恐れる豊太郎は、相沢の力に頼って「栄達」という母親が用意したレールに戻ってしまう。

豊太郎は、肝心な場面では「弱き心」を言い訳にして問題から逃げ、解決を先送りにしてきた。ここに豊太郎がダメな理由はある。

エリスとの出会いは、豊太郎が器械的な人間から自分の意志で生きる人間に生まれ変わるチャンスだった。しかし、器械的な人間に戻ってしまった。自分の選択によって失敗することを恐れたからだ。自分の意志と判断で進路を選ぶこと。そしてその選択によって生じた結果に責任を持つこと。これ以外に自分で人生を生きる方法はない。

参考文献

『現代語訳 舞姫』(ちくま文庫)
「舞姫」の原文のほか、井上靖の現代語訳、山崎一穎の「解説」のほか、資料編として 前田愛「BERLIN 1888」、資料篇、星新一「資料・エリス」、小金井喜美子「兄の帰朝」が収録されている。

特に、山崎「解説」は、主要な「『舞姫』論」の論点整理、読みのポイントの解説、鴎外のドイツ留学から「舞姫」執筆当時の状況の説明と充実している。前田の「BERLIN 1888」は、都市としてのベルリンの歴史と構造から「舞姫」を解釈する批評で興味深い視点を提供している。

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