純白のマスクを楯(たて)として会へり 野見山ひふみ
季語(冬) マスク
野見山の句は、コロナ禍の前に発表されたものである。気の乗らない人と会う際、マスクを心理的な楯の代わりにして対面した状況として読んだ。やっかいな交渉事でもあったのかもしれない。こんな時、マスクをすれば表情を隠せるので、相手に感情を悟られることなく、自分を守れる。
私の知り合いの女性が、年中マスクをしていた。夏でも外さない。理由を聞くと、化粧をするのが嫌いで、すっぴんの顔を見られるのも嫌だからだという。夏にマスクとは少し奇妙に見えるのだが、彼女にとって、マスクは相手に無防備な素顔を見せないための楯 (盾)であり、外せなかったのだろう。
多くの女性は、外で人と会う際、化粧をして出かける。世の中もそれを当然と考えている。周囲からズボラな性格と思われるのを避けたいという思いも彼女にはあったのではないか。この場合、マスクは世間の冷たい視線から身を守るための楯となっている。
この句の初出は不明だが、私は『俳句歳時記 第四版 冬』(角川文庫)から引用した。編集部による「序」に「2007年10月」と記されているので、それ以前に発表されたことは確かだ。この句がコロナ禍という文脈から新たに注目され、新聞のコラムなどで取り上げられることとなった。
歳時記を見ると、マスクは冬の季語である。だいぶ前から花粉症対策として春に使用する人が増えた。さらに、新型コロナウイルス感染症が広がり、年中着用するのが当たり前になった。逆に着用しない方が冷たい目で見られる。常時マスクの彼女は少し目立たなくなり、安心しているはずだ。
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