高校の国語で学習する「山月記」(中島敦)について詳しいあらすじと人物相関図のほか、時代背景や読みのポイント、感想文の書き方を解説する。李徴は詩人として名を上げたくて、エリート官僚の座を捨てた。しかし、世間は彼の詩を評価してくれない。才能はあるはずなのに、なぜ認められないのだ……。自分を認めない社会と関係を絶った男は、人の心を失い、虎に変貌する。
「山月記」の李徴(りちょう)は詩人になることを夢見て、挫折した男だ。彼は、一度は官吏(役人)として勤めたが夢を諦めきれず、仕事をやめて詩作に専念した。しかし、芽は出ず、妻と子供との暮らしは貧しくなるばかりだった。貧困から脱するため、再び官吏になったが、詩人に憧れる者にとってそこは居心地の良い場所ではなかった。とうとう忍耐が限界に来て、発狂した李徴は、虎に姿を変え、行方をくらました。
李徴は、超難関で知られる科挙試験に若くして合格するほどの秀才だった。そんな彼はなぜ、挫折したのか。
まずは、登場人物に関する情報をおさらいしておこう。
登場人物の一覧と相関図
主な登場人物とその説明を以下の表に整理した。小説では唐の時代に生きた役人の心情が描かれる。物語を理解するには、官吏や科挙といった独特の言葉を頭に入れておく必要がある。
李徴 | 官吏(江南尉*) 若くして科挙に合格した秀才 厳しい性格で友人が少ない 官吏を辞めて、詩人を目指すも失敗。貧乏に耐えられず、再び官吏になった 発狂して虎になる 数百篇の詩を作る。およそ三十の詩を袁傪に伝える *江南尉:江南(長江以南の地)の軍事や警察などをつかさどる官吏 |
袁傪 | 官吏(監察御史*) 李徴と同期人で親友 出世して中央の官吏として高い地位を得た 地方巡行の際、虎になった李徴と出会う 李徴の詩を部下に書き残し、李徴の妻子の世話をすることを約束した *監察御史:官吏を取り締まり、地方を巡行して行政を監視した官吏 |
妻、子 | 李徴の妻と子供 李徴が詩人を目指し、後に失踪したことから暮らしは貧しい |
同輩 | 官吏の仲間 李徴は「鈍物」と見下していたが、今は高位に出世している |
大官 | 官吏時代の李徴の上司、俗悪 |
供回り | 袁傪の部下で地方巡行に同行 袁傪に命じられ、李徴の詩を書き残した |
「山月記」の人物相関図を作成した。
あらすじ
次にあらすじを見ていきたい。8つの場面に分けて記述した。
場面1:官吏を辞して詩人を目指す
天宝末年(唐代)、李徴は、若くして科挙(中国の官吏登用試験)に合格し、中国・江南の地で軍事や警察をつかさどる官吏の職に就いた。ところが、下吏(下級の役人)であることを潔しとせず、職を辞し、詩家(詩人)になって百年後に名を残すつもりだった。ところが、文名はいっこうに上がらず、妻子を抱えて、貧しい暮らしを強いられた。数年後、李徴は、貧しさに耐えられず、また自分が書いた詩に絶望し、志半ばにして、地方官吏の職についた。その間、官吏の仲間は出世していた。
場面2:発狂して戻らず
見下していた人物が、偉くなり、李徴は彼らから命令を受ける立場になった。そのことに彼の自尊心は傷つけられ、精神的に追い込まれていった。そしてついに、出張先の汝水で発狂した。李徴は、叫んで闇に向かって走り、そのまま戻ってこなかった。
場面3:虎として袁傪に出会う
官吏を取り締まる監視官で、李徴の友人である袁傪は、人喰虎が出るという噂のある土地を旅していた。ある夜、部下を連れて林の中を進んでいると、虎に襲われそうになった。袁傪は、その虎が李徴の変わり果てた姿だと気付く。李徴も相手が袁傪だと分かったが、草むらの中に隠れたままだった。袁傪は、都のうわさや旧友の消息、自分の地位について李徴に語り、虎になったいきさつ尋ねた。
場面4:虎になった経緯を語る
袁傪の問いに李徴は次のように答えた。一年ほど前、旅に出て汝水のほとりに泊った夜に屋外から呼ぶ声が聞こえた。その声を追いかけるうちに、山林に入り、知らぬ間に両手を地面に着けて走っていた。川面に映った自分の姿を見ると虎になっていた。目の前をうさぎが通った瞬間、自分の中の人間は姿を消し、我に返ると口にウサギをくわえていた。
虎になった後も、一日のうち数時間は人間の心がもどってくる。その時には「詩経」(中国最古の詩集)をそらんじたり、考えをめぐらしたりする。しかし、そうした時間も次第に短くなっている。近いうちに人間の心は消えてしまうだろう。自分が人間だった記憶を失うことは恐ろしく、哀しい。
場面5:自作の詩を伝える
李徴は、人間の記憶を失う前に自分が作った詩を書き残して伝えてほしいと袁傪に頼んだ。袁傪は、部下に命じて、李徴が朗唱する詩を書き取らせた。袁傪は李徴の詩には、第一流の作品になるには「何処どこか(非常に微妙な点に於おいて)欠けるところがある」と感じた。さらに、李徴は、今の懐(おもい)を即席の詩にした。
場面6:「自尊心」と「羞恥心」を語る
詩を語り終わると、李徴は、自分が虎になった理由を語った。それは「臆病おくびょうな自尊心」と「尊大な羞恥心」によるものだという。自分の才能不足が明らかになるのを怖れ、苦労して努力することを嫌った。虎になってようやくそのことに気づいた。自分の空費された過去を思うと胸が焼かれるような悔いを感じる。この苦しみを分かってもらいたくて、磐(いわ)の上で吼えるが、誰も理解してくれない。
場面7:妻子の世話を袁傪に頼む
辺りの暗さが薄らぎ、別れの時が近づいていた。李徴は、自分が死んだと妻子に伝えてほしい、そして彼らが飢えて凍えることがないようにしてほしい、と袁傪に頼んだ。袁傪はこれを承諾した。その後、李徴は、妻子のことより先に、詩のことを頼む人間だから、虎になったのだと自嘲した。
場面8:最後に虎の姿を見せる
別れ際、李徴は、次は本当に襲うかもしれないから帰途にこの道を通ってはいけないと、袁傪に伝えた。そして、最後に虎の姿を見せるので、しばらく進んだら振り返るように言った。袁傪の一行が、言われた通り振り返ると、虎が草むらから道に躍り出て咆哮し、草むらの中に姿を消した。
歴史的背景
李徴は官吏を辞めて、詩人になる道を選んだ。それの選択がどれだけ思い切った行動だったかを理解するには、当時の官吏の立場と官吏になるための試験である「科挙」について知る必要がある。
超難関の科挙
「山月記」は、「隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね……」という1行から始まる。「虎榜」は、官吏登用資格試験に合格した者の名前を掲示する木札のこと。李徴は他の人よりも若い年齢でこの試験に合格するほどの秀才だったのだ。
中国の官吏登用試験「科挙」は、随(587年ごろ)の時代に始まった。作中「袁傪は李徴と同年に進士の第に登り」という説明がある。進士は、科挙の合格者のことを指す。袁傪と李徴は、同じ年に科挙に合格し、官吏になった、いわば同期に当たる。
官吏は、今の日本で言えば国家公務員(官僚)に相当し、当時の中国では「最も名誉であるとともにまた最も有利な職業」(宮崎市定『科挙―中国の試験地獄』中公新書)であり、旧中国の知識・上流階級である「士大夫」に属した。さらに官吏は、終身雇用のため、何か問題でも起こさない限り、地位はずっと保証された。
様々な特権を受けられるため、多くの人が官吏になることを目標にした。その結果、科挙は超難関試験となり、裕福な家の子供は、幼い頃から科挙のための受験勉強をさせられた。
43万字を暗記
科挙の試験には、四書・五経など儒教の経典に関するものや、詩や文章をつくる問題が出された。「四書」は『論語』『大学』『中庸』『孟子』、 「五経」は『易経』『詩経』『書経』『礼記』『春秋』を指す。これらのうち重複を除いた文字数は、43万字ほど(宮崎・前掲書)。受験生はこれらを暗記しなければならない。
さらにこれらに関する注釈書を読み、本文が問題に出た場合の解答方法についても習う。
このほかにもぜひ目を通しておかねばならぬ経典があり、歴史の本があり、文学の本がある。文学書は単に読んだだけでは駄目で、それにならって自分でも詩や文章を作る稽古をせねばならぬから、真面目にこんな勉強をやりだしたならば、頭のよほど丈夫な人でないと、途中で嫌気がさしてくる。
宮崎市定『科挙―中国の試験地獄』中公新書
唐の時代には、科挙は「郷試」→「会試」の2段階で実施された。郷試は、各省で行われ、合格すれば会試の受験資格を得る。郷試の合格者は、全国から北京に集められ、会試を受験。試験を通れば晴れて進士となる。
合格倍率は1万倍
宮崎一定によると、郷試に合格できるのは100人のうち1人、会試に合格できるのは100人のうち1または2人。単純計算で郷試の受験者が1万人いたとして、会試に合格して進士になれるのは、そのうち1人または2人ということになる。合格倍率は、なんと1万倍(2人合格の場合、5000倍)だ。
参考として現在の日本の国家総合職試験と比較してみよう。日本で中央省庁の官僚(官吏)になるには、国家総合職試験に合格する必要がある。2022年度の合格倍率は、8.2倍だった。科挙が桁違いに難しい試験であることが分かる。
科挙はこれほど難関だから、何回受験しても合格できず、それでも諦めず挑み続ける人も少なくない。そのため唐代には「五十歳で進士になるのはまだ若い方」という諺(ことわざ)があったという。
魯迅も科挙を目指した
小説「故郷」を書いた魯迅(本名は周樹人)は、官吏の家系に生まれた。魯迅の家、つまり周家は、第六世が科挙の第一段階に合格し、官吏となった。それによって周家は繁栄し、田畑を所有する地主となった。
さらに魯迅の祖父は、科挙最終試験に合格し、進士となった。祖父は、江南省で知事を務めた後、北京で政府高官にまで出世した。一方、魯迅の父は、科挙受験資格を得たものの、第一段階には合格できなかった。
魯迅自身は、満6歳から塾に通い始め、11歳の時には紹興で最も厳格な塾に入り、科挙に備えて四書五経を学んだ。そして1898年に「県試」に合格した。県試とは、当時科挙を受ける前の段階に課せられた試験である。
明代から科挙を受ける者は、前提として国立学校に入学することが条件とされた。そのため科挙を受ける者は、まず国立学校の入学試験に合格する必要があった。
入学試験は、「県試」→「府試」→「院試」の3回。
これらを順に合格して、ようやく国立学校に入学できる。魯迅は、県試に合格したものの、周家が没落したことで金銭的な余裕を失い、これ以降の受験をあきらめた。科挙は、1904年に廃止されるのだから、魯迅の選択は賢明だったといえる。
※周家と魯迅の詳細については、藤井省三『魯迅事典』三省堂を参照した
いつまでも合格できず身を滅ぼす人も
そうした科挙に挑み続けて、歳を重ねた挙げ句、身を滅ぼす人は、珍しくなかったようだ。
魯迅の小説「孔乙己」には、科挙を受験するための資格試験に落第し続けている孔乙己の哀れな姿が描かれている。彼は貧乏な書生だったが、酒が好きで、酒場に頻繁に通っていた。酒場に集まる人達は、いっこうに合格できない孔乙己を馬鹿にしていた。孔乙己は、飲み代が足りず、人から預かった本や筆を売ってしまう。それでも足りず、盗みを働いて捕まり、足の骨を折られた。そんな状態になっても孔乙己は両手で這って酒場に姿を見せるのだった。
同じく魯迅の小説「白光」には、科挙への最初の関門である県試に一六回落ちた陳士成が出てくる。陳は、不合格の連続に絶望し、発狂してしまう。そして深夜、街をさまよい歩き、遠く離れた湖で溺死した。
このように科挙は、合格したものに輝かしい未来を約束する一方、合格しなかったものには不幸をもたらした。
「山月記」の李徴は、努力して科挙に合格し、官吏となった。官吏を続ければ、誰もがうらやむ豊な暮らしを手に入れられたはずだった。それなのに彼は、困難が予想される詩人への道を選んだ。
李徴が挫折した理由
夢を抱き、それに挑戦することは間違いではない。例え夢が叶わないとしても、挑戦しないで後悔するよりはずっと良い。夢に敗れたら、現実を認めて別の道を探せば良いだけのことだ。李徴は、官吏を辞めたが、詩人として成功しなかった。そのため、再び官吏に戻るものの、馴染めず、発狂してしまった。彼は、官吏の仕事でも、詩でも上手くいかなかった。どこに問題があったのだろうか。
人嫌いの性格
その理由は、李徴の人間嫌いにある、というのが私の考えだ。
勉強が得意だった李徴だが、世の中を上手く生きていくには、勉強とはまったく異なる素養が求められる。いわゆる処世や世渡りと呼ばれる才能だ。特に、会社や役所のような組織で、出世して名を上げるには、処世や世渡りが欠かせない。時には、好きでもない上司にお世辞をいい、その人のために身を粉にして働き、仕事ができる部下と思わせて引き上げてもらわなくてはならない。
組織は、そのような上下関係を軸に動いている。世渡りが嫌だったら、組織に所属しないで、個人として生きていかなければならない。李徴は、世渡りが苦手だった。そればかりか官吏の世界で、上手に世渡りしている人を「俗悪」「鈍物」といって批判し、見下していた。
虎になった李徴が、当時の自分を振り返って次のように語る。
人間であった時、己は努めて人との交を避けた。
「山月記」
つまり、人との付き合いが苦手で、自ら人から離れていったということだ。こういうタイプが、組織の中で上手に立ち回ることは難しいだろう。官吏を辞めて、詩作の道に進むのは必然だったといえる。しかし、詩の世界でも人との付き合いがないわけではない。そこでも李徴は人と交わろうとしない。
己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。
「山月記」
李徴は、詩人になりたいのに、誰かに教えを請うこともしなければ、仲間と自作の詩を見せあって、批評し合うこともない。自分と同じように詩を書く人であれば、仲良くできそうなものだが、李徴にはそれができない。その理由を次のように説明する。
己の珠に非あらざることを惧が故に、敢あえて刻苦して磨こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった。
「山月記」
ここで「珠」は価値の高いものの例えであり、ここではは自分に非凡な才能があることを指す。「瓦に伍する」の「瓦」は、値打ちの低いものの例えであり、才能のない人たちのことを意味している。「伍する」は仲間に入るという意味。
従って、上に引用した一文は、李徴は自分には詩の才能があると信じている一方で、師や自分より才能のない仲間に詩を見せて才能がないことが判明することを怖れていた。だから、詩に関しても他人と交わることを避けたという意味になる。作品冒頭に「己おのれの詩業に半ば絶望した」とあるが、詩の仲間を持たない李徴だから、誰かに詩を見せた結果の判断ではないだろう。李徴は自分の詩を読んで、自分で才能に絶望したと考えられる。
ここまで人と交わることが嫌なら、もうどこかに引きこもって、1人で詩でも書いているしか方法はない。しかし、李徴は妻と子を養わなければならない。詩人が無理ならそれ以外の方法で生活費を稼ぐ必要がある。仕方なく、地方官吏の職を得ることになるのだが、根が人嫌いだから、やっぱり官吏の人間関係に耐えられない。我慢が限界に来て発狂してしまうのだ。
「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」
虎になった李徴は、自分が人との交際を避けた理由を「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」という言い方でも説明する。
「臆病な」は、「羞恥心」と似た意味合いを含んでいる。同じくも、「尊大な」は「自尊心」と似た意味合いだ。ここでは、2つの言葉が入れ替わって、自尊心と羞恥心を形容している。
この語法は、李徴の中で「自尊心」と「羞恥心」がコインの裏表のように反転することを意味している。自尊心にあふれているとき、同時にそれが否定されることを臆病なほど怖れる心情が顔を出す。羞恥心にまみれているように見えて、その裏では周囲の人たちを見下す尊大な心情を持ち続けている。こんなふうに「自尊心」と「羞恥心」が絡まっている。
詩の才能があると思いつつ、実は平凡な才能であることが明らかになることを怖れ、同時に他人を「瓦」と見ていた心理に、反転する「自尊心」と「羞恥心」の動きがよく表れている。「自尊心」と「羞恥心」が内側でせめぎ合うことで、李徴の思考と行動を制限し、人付き合いを難しくしていたのだ。
結局のところ、李徴は、虎になった理由を「才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが己の凡だったのだ」と語る。自分に才能が足りないことが判明することへの怖れと、つらい努力(刻苦)を避けたがる怠け癖が全ての原因だったというのだ。
しかし、「自尊心」や「羞恥心」「卑怯な危惧」「怠惰」といった李徴の説明はどうも表面的な気がする。自分以外の官吏を「俗悪」「鈍物」と強く批判したり、詩人を「瓦」と見下したりする攻撃的な心理の底には、もっと根深い感情、人間嫌いの感情が渦巻いているのではないか。
人は社会と関係を絶ったとき獣になる
人は、世間や他人とのつながりを断ったとき、人であることを辞める。人は社会的な存在であり、社会との関係を断つことは、人の心の内にある社会性を抹殺することだからだ。このとき、彼は人の姿をしていても、人ではない生き物になっている。李徴の次の言葉は、彼が自分の中の社会性を抹殺した事情を語っている。
己の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。これが己を損い、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、己の外形をかくの如く、内心にふさわしいものに変えて了ったのだ。
「山月記」
李徴は、「尊大な羞恥心」と言っているが、それは私には「人嫌い」の心情を言い換えているように思える。社会に背を向け李徴は、人の心を失い、別の存在になった。虎の姿は、そうした変化の象徴である。
李徴は、難関の試験を通過し、若くして官吏になった。また詩の才能があると心の奥で信じ続けていた。自分はこんなに優れた人間で才能があるなのに、世の中はそれを認めてくれないという不遇の意識を李徴は持ち続けたはずだ。そうした怒りは自分ではなく、社会へ向けられる。
己は次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶と慙恚とによって益々己の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。
「山月記」
「憤悶」は、心の中でもだえ憤るという意味である。憤るとは、心中に不平をいだき、恨み怒ることである。「慙恚」は、恥じて恨み怒るという意味だ。李徴の人嫌いの感情は、人から遠ざかることで恨みや怒りへと転化していった。その恨みと怒りが頂点に達したとき、彼は手で土を掴み、一匹の「人食い虎」になった。
ここまで来て、私は「ルサンチマン」という言葉に行き当たる。ルサンチマンは、ドイツの哲学者、フリードリヒ・ニーチェの用語で、弱者が強者に対する憎悪をみたそうとする復讐心が、内攻的に鬱積した心理のこと。秀才としてエリートの道を歩んでいたはずの李徴は、いつしか道を外れて弱者に転落した。挫折したエリートのルサンチマンは、虎の姿を借りてしばしば人を襲い、社会に復讐した。私は「山月記」をそのような寓話として読んだ。
作中の漢詩について
「山月記」には、虎になった李徴が袁傪に伝えた以下の漢詩が引用されている。
偶因狂疾成殊類 災患相仍不可逃
「山月記」
今日爪牙誰敢敵 当時声跡共相高
我為異物蓬茅下 君已乗軺気勢豪
此夕溪山対明月 不成長嘯但成噑
この漢詩は、七言八句から成る「七言律詩」の形式である。「今の懐おもいを即席の詩に述べて見ようか。この虎の中に、まだ、曾ての李徴が生きているしるしに」という言葉の後に詠まれる詩なので、李徴の気持ちが込められているはずだ。しかし、作中に現代語訳がなく、読者は意味をつかめない。
実は、「山月記」は、唐代に文語で書かれた「人虎伝」に取材していることが判明している。上の漢詩と同じものが「人虎伝」の中にも出てくる。下の「参考文献」にも上げた増子和男『大人読み「山月記」』(明治書院)には、「人虎記」の書き下し文と現代語訳が収録されている。以下はそれを参照した。
(※漢詩の書き下し文)
偶狂疾に因りて殊類と成り
増子和男『大人読み「山月記」』
災患相仍りて逃るべからず
今日爪牙誰か敢へて敵せん
当時声跡共に相高し
我は異物と為る蓬茅の下
君は已に軺に乗りて気勢豪なり
此の夕べ溪山明月に対い
長嘯を成さずして但だ噑ゆるを成す
(※漢詩の現代語訳)
偶々(たまたま)心の病を発して獣の身となってしまった
災いが我が身に集まり、逃れることが出来なかった
今や我が爪や牙は向かうところ敵なしだが曾て(人として)科挙に合格した頃は君と共に俊才の名を高くしたものだった
増子和男『大人読み「山月記」』
(ところが今や)私は獣となって雑草のもとに身を伏せることとなり
一方、君は馬車に乗って帝の使者として楓爽と活躍している
(久しぶりに君と再会した)今宵、谷や山にかかる明月に向かって
詩の一つも吟じようとしたのだが、(思う通りに人の声とはならず)獣の吠え声となるばかり
一緒に科挙に合格して俊才の名を手に入れた李徴と袁傪。この詩では、二人のその後の明暗が対照的に語られている。一方は獣に身を落とし、雑草の中に隠れている。一方は官吏として出世し、馬車に乗っている。地べたから見上げる獣と馬上から見下ろす帝の使者。この落差の描写に、李徴の挫折感や屈辱が込められている。その悔しさと哀しみは言葉にならず、咆哮によってしか表現できない。李徴の深い絶望こそが、この詩で伝えたかったことにちがいない。
感想文を書くなら
感想文を書く場合、登場人物と自分の体験を重ねるように書くのが良い。そうすればあらすじを長々と紹介して、最後に「面白かった」と書くだけの感想文から卒業できる。
「山月記」では、2つの方法がある。1つは李徴に着目する方法、もう1つは袁傪に着目する方法だ。
李徴の場合、詩人になる夢を抱いて挫折した経験に着目するのがよい。
誰だって自分の好きなことを仕事にして生きたいと思う。ミュージシャンやダンサー、ユーチューバー、ゲーマー、小説家……。こうしたパフォーマンスや表現を仕事にしたいと思う人は多い。ただし、成功するには長い下積みや貧乏に耐える覚悟が必要だ。どれだけがんばっても、成功して有名になれる人はほんのひと握り。夢をあきらめて、企業や役所などに就職したり、家業を継いだりする人の方が圧倒的に多い。
一方、会社員や公務員の人生も簡単ではない。出世しようと思ったら、やりたくない仕事を任されたり、嫌いな人間と付き合ったりということに耐えなければならない。どちらにしてもつらい道だ。
李徴の物語が投げかけるのは、こうした現代にもつながる生き方の問題である。
誰でも夢を抱いたり、目標を設定したりして努力を重ね、結局実現できなかったという経験はあるだろう。例えば、第一志望の学校を目指しての受験勉強をしたが不合格だった。運動部のレギューラーになりたくて、練習に打ち込んだけれど、結局だめだった。こうした経験とその時に感じた思いと比較しながら、李徴の言葉を読んでみる。そうすれば、自分との共通点や違いに気づくはずだ。それを自分と李徴に共通する点、異なる点に整理して感想文として書けば良い。自分にしか書けない「山月記」の感想文ができあがる。
袁傪の場合、夢に破れて落ち込む李徴に友人として言葉をかける場面に着目したい。自分は夢や目標を実現した。一方で、友人や家族などに挫折した人がいる。そんな少し気まずい経験をした人は少なくないだろう。そのとき、自分は相手にどのような言葉をかけたか、そしてどんな思いを抱いたか。これらを袁傪の行動や言葉と比較しつつ、感想文に書く。
多くの人は、李徴に自分を重ねて感想文を書くのではないか。そういう意味で、袁傪に着目して感想文を書けば、他の人と差をつけることができそうだ。
参考文献
『教科書で読む名作 山月記・名人伝ほか』(ちくま文庫)
「山月記」のほか「名人伝」「狐憑」「幸福」「牛人」「悟浄歎異―沙門悟浄の手記」「弟子」「李陵」を収録。解説として「作者について―中島敦」(中村良衛)、「中島敦の文学」(臼井吉見)、「『山月記』から始めてみよう」(蓼沼正美)の3編、付録として「山月記」の原典とされる中国の説話「人虎伝」と中島敦年譜も収録されている。見開きの左ページに高校国語教科書に準じた注が記載されているので読みやすい。
宮崎市定『科挙―中国の試験地獄』中公新書
中国で1400年以上続き、大きな影響力を持った科挙について分かりやすく解説している。試験の過酷さや、中国人がどれだけ切実に合格を願ったかが伝わってくる。
藤井省三『魯迅事典』三省堂
周家、魯迅と科挙の関係については、こちらを参考にした。
増子和男『大人読み「山月記」』明治書院
山月記の原典「人虎伝」の現代語訳が収録されている。原典と「山月記」違いを知るのに役立つ。
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