ラグビーの頬傷ほてる海見ては 寺山修司
『花粉航海』
ラグビーの試合を終えた少年が、海岸に一人立ち、潮風に吹かれた頬の傷の痛みに耐えている。そんな場面が思い浮かぶ。試合は負けたのだろう。水平線に視線を走らせながら疲労とともに敗北の痛みをまた感じている。横顔には、全力を尽くして及ばなかったことへの感傷もにじむ。
寺山は、ラグビーの競技そのものよりも、頬の傷に焦点を当てラグビーを間接的に詠むことで、青春の充実感や悔しさを描くことに成功している。
寺山が好んだラグビー
ラグビーは、寺山が好む題材だった。俳句と短歌で何度も取り上げている。
以下の俳句がある。
ラグビーの影や荒野の声を負い (『花粉航海』)
ラグビーで黒土蹴るや母恋し (『寺山修司俳句全集 増補改訂版』あんず堂 「句集未収録」篇 「昭和30年の作」)
さらに、以下の短歌もある。
黒土を蹴って駈けりしラグビー群のひとりのためにシャツを編む母
ラグビーの頬傷は野で癒ゆるべし自由をすでに怖じぬわれらに (「十五才 初期歌篇」)
最後の歌は、表題の句と「ラグビーの頬傷」が共通している。十代の寺山にとって傷つきやすい内面を象徴する言葉だったのかもしれない。
ラグビーで思い出すのは自分の高校時代だ。高校1年生の私が、廊下を歩いていると向こうからラグビー部の顧問がやってきた。すれ違う際、顧問から「君、いい体してるね。ラグビー部に入らないか」と声を掛けられた。高校ではテニスをやりたかったので、丁寧に断った。あの時、ラグビーを選んでいたらどうなっていただろうか。チームワークを重んじ、自己犠牲を厭わない性格になっていたかもしれない。
冬の躍動感を象徴
ラグビーは冬の季語である。歳時記を見ると、冬場に盛んに行われるからとその理由が記してある。毎年、秋に関東と関西で大学リーグが開かれる。その上位校など14チームが、トーナメント形式で戦う「大学選手権」が翌1毎年、秋に関東と関西で大学リーグが開かれる。その上位校など14チームが、トーナメント形式で戦う「大学選手権」が翌1月まで実施される。またこの時期、全国高校ラグビー県予選も行われている。また社会人のトップリーグは2月からリーグ戦が始まる。このようにラグビーが最も盛り上がるのが冬なのだ。
若さや青春を象徴するラグビーを多くの俳人が題材に選んでいる。
ラグビーのジャケツちぎれて闘へる 山口誓子
牡丹雪負傷のラガー立ちあがる 坪内稔典
ラガー等のいのちかがやく風の中 角川春樹
これらの句は、競技そのものの躍動感を主題にしている。体と体がぶつかり合う迫力、ボールを抱えて駆け抜けるスピードなどに、詠み手は引き寄せられるのだろう。
松任谷由実「ノーサイド」
ラグビーに関する歌謡曲では、松任谷由実の「 ノーサイド」を思い出す。
何をゴールに決めて
松任谷由実「 ノーサイド」
何を犠牲にしたの 誰も知らず
歓声よりも長く 興奮よりも速く
走ろうとしていた あなたを
少しでもわかりたいから
人々がみんな
立ち去っても 私ここにいるわ
印象的なリフレインが耳に残る。遊びや恋愛を楽しむ同世代の若者を横目に、選手は多くを犠牲にして練習に打ち込む。しかし、敗北は避けられない。そして、いつか競技を引退する時がやってくる。グランドに一人で立つ選手と歓声が消えたスタンドで彼を見守る女性が浮かび上がる。
松任谷は、選手に思いを寄せる恋人らしき語り手を設定し、引退した後の選手が受け止めなければならない寂しさに視線を向ける。それによって短編小説のようなドラマを歌い上げた。
上に引用した俳句のようにスポーツに取材する場合、競技の躍動感に目を向けがちだ。このタイプの句は、肉体のリアルさや一瞬の迫力を伝えるものの、やや深みが欠けた印象を与える。スポーツは競技そのものに目を凝らすよりも、少し視線をずらした方が、余韻を残し、想像をかきたてる作品になることを寺山と松任谷の作品は示している。
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