与謝野晶子「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」表現技法・意味を解説

うつむく女性短歌

やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君

与謝野晶子『みだれ髪』

歌意・現代語訳

女の体に触れもしないで、道理を主張するあなたは寂しくないのですか。

語句・表現技法と解釈

この歌の語り手は女性であると解釈した。そうすると「やは肌のあつき血汐」は、「やは肌」とは柔肌(やわはだ)であり、つまり、女の肌、体のことになる。つまり血の通った女の体に触れもしないで、「道」を、つまり道理や正論を主張して、君は寂しくないのか問い掛けているのだ。問いの相手である「君」は男である。「さびしからずや」で切れる四句切れで、「や」は、終助詞で、動詞の終止形に付いて質問・疑問をあらわす。1901年(明治34年)に刊行された歌集『みだれ髪』に収録された一首。通常なら、「道を説く君さびしからずや」と語順になるところ、「さびしからずや」を前に出す倒置法を使っている。それによって作者の主張である「さびしからずや」が強調される。

この歌が描く情景を現代に置き換えるなら、不良っぽい女子が、ガリ勉タイプの優等生の男子を小バカにしている場面とすると分かりやすい。中学や高校のクラスでよく見かける光景だ。

例えば、女性と交際したことのない優等生の男子が、

男子「君のような男女交際は不純だ。そんな男とは分かれたまえ。学生の本分は学業にある」

などと言って、男子が女子に向かって道理を説いているのである。

すでに男の体を知っている女子が、それを受けて、

女子「勉強ばかりしてないで、もっと楽しんだらいいのに」

と皮肉っているわけだ。

女子は、年上の男とつきあっているらしく、影であれこれと噂をされていると想像する。彼女から見れば、勉強ばかりしていて女を知らない優等生は、あわれでかわいそうな存在である。上から目線で「ふん、女の体も知らない、童貞のくせに」と鼻で笑うのだ。

作者の与謝野晶子は奔放な女だった。歌集を出版した時は、彼女は22歳だったが、このとき既に後に夫となる与謝野鉄幹と不倫関係にあった。そんな晶子に、道を説きたがる男は何人もいたにちがいない。ここで歌われる「君」のモデルについては研究者の間でも諸説あるらしい。私は、この歌の「君」には、晶子にしたり顔で「女はこうであるべきだ」と語った全ての男たちの像が重なると考える。「さびしからずや」とは、そうした男たちに向けた鋭い批判の言葉である。

与謝野晶子の代表的な短歌

その子二十櫛に流るる黒髪のおごりの春の美くしきかな

清水へ祇園をよぎる花月夜こよひ逢ふ人みな美くしき

ゆあみして泉を出でし我が肌に触るるは苦るし人の世の衣

いとせめてもるゆるがままに燃えしめよかくぞ覚ゆる暮れて行く春

春みじかし何に不滅の命ぞとちからある乳を手にさぐらせぬ

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