寺山修司 海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手を広げていたり 短歌解説

夏の少女短歌
海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手を広げていたり 寺山修司

表現技法

句切れはない。表現技法としては、倒置法を使うことで、映像をダイナミックに転換する効果を上げている。

通常の語順であれば、主語である「われ」の後に目的語である「少女」を配置するところだが、ここでは「海を知らぬ少女」を第一句にもってきている。これによって、少女の存在を強調している。

そのため、読み手はまず少女を正面から見た映像を鮮やかに思い浮かべる。その後、少女の前に立つ少年、おそらくは少年の背後から少女を見た映像を、最後に少年が両手を上げて少女を迎える場面を思い浮かべる順になる。映画でカメラが動くような流れを作り出しているわけだ。

文法

この歌では文語体が使われている。
「知らぬ」は、「知る」の未然形 + 否定の助動詞「ぬ」の連体形。体言の「少女」を修飾するので「ぬ」は連体形になる。

「広げていたり」は、「広げて」+補助動詞「いる」の連用形+完了・存続を表す助動詞「たり」の終止形

「いる」には、「ずっと…ている。…しつづける。」という意味がある。「たり」にも存続の意味があり、この場合は、「広げていたり」は手を広げてすぐに下ろしたのではなく、しばらくの間広げていたというニュアンスを表現していると解釈できる。

鑑賞 ― 夏休みに親戚の家で

夏になるとこの歌を思い出す。シンプルな歌である。目の前に海を見たことがない少女がいて、麦わら帽子をかぶった「われ(我、私)」は両手を広げて歓迎の意を表している。

シンプルな歌だからこそ様々なイメージがふくらむ。

例えば、海のない土地で育った少女が、夏休みに海辺の街に暮らす親戚の家に遊びにくる場面。「われ」は少女より少し年上の少年で、少女の到着を駅で待っている。田舎の無人駅だ。プラットフォームに降りた少女を見つけ、少年は「よく来たね。少し見ないあいだに、背が高くなったなあ」などと言いながら、両手を広げる。そんな映画のようなシーンを想像したくなる。

寺山の短歌は、言葉が巧みに選択されていて映像が思い浮かぶものが多い。だからこそ、多くの人に愛されているのだ。この歌に少女と「われ」の2人が登場するが、私は「われ」の方に自分を重ねる。そして、目の前に少女の鮮やかな像が立ち上がる。

「麦わら帽子」が重要な小道具になっている。麦わら帽子は、夏休みや少年時代、田舎の風景などなつかしさを想起させるアイテムとして、短歌や俳句などでよく使われる。別名、麦稈帽(ばっかんぼう)ともいう。

あいみょんや俵万智の麦わら帽子

俵万智の「思い出の一つのようでそのままにしておく麦わら帽子のへこみ 」(『サラダ記念日』)という短歌はよく知られている。思い出と「麦わら帽子のへこみ」を上手くリンクさせることで、どんな思い出なのだろうと想像をかきたてる効果を上げている。

あるいは、角川原義の句「麦藁帽ただよふ海の紺のなか」。海に落ちた麦わら帽子がゆっくりと沈んでいく様が見えるようだ。

歌謡曲では、あいみょんがヒット曲「マリーゴールド」の中で色彩豊かに歌っている。

麦わらの帽子の君が
揺れたマリーゴールドに似てる
あれは空がまだ青い夏のこと

あいみょん「マリーゴールド」

マリーゴールドのオレンジ、空の青、遠くには白い入道雲が浮かんでいるだろう。

いずれの作品でも麦わら帽子が、ノスタルジックな印象を生み出している。

※2021年7月10日 文法と表現技法について加筆した

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