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【解説】くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる 正岡子規 意味・表現技法・句切れ

バラの針、棘短歌
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正岡子規の短歌「くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる」の解説。庭の片隅で成長する薔薇を見つめる眼差しがやさしい。比喩としての「薔薇の芽」「針」について考える。

春雨の降る中、成長する薔薇の芽の様子を細かに描いている。「薔薇の芽」「針」について知ることで、これらに込められた心情を理解できる。「薔薇の芽の針」が何の比喩であるかを考えることが解釈のポイントになる。この歌には、明治以降の近代化という大きな流れの中で表現の革新を目指した者が抱いた思いが響いている。

読みと意味

くれなゐの二尺伸びたる薔薇ばらの芽の針やはらかに春雨のふる    

正岡子規『竹の里歌』「庭前即景(四月二十一日作)」

正岡子規『竹の里歌』
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読みは以下の通り。
くれないの/にしゃくのびたる/ばらのめの/はりやわらかに/はるさめのふる

意味は以下の通り。
「赤味がさして、60センチほどに伸びた薔薇の芽からやわらかな針が出ている。それらをやわらかく包み込むように春雨が降っている。」

表現技法・句切れ

字余り、字足らずのない5句31音の定型で読まれている。以下ではこの歌で使われている表現技法として、頭韻、掛詞、韻律の3つについて解説する。

頭韻

3句の「ばらのめの」、4句の「はりやわらかに」、5句の「はるさめのふる」で「は(ば)」の頭韻を踏んでいる。頭韻とは、同一か類似の音で始まる語を続ける表現技法のこと。

例えば、百人一首にも入っている紀友則(きのとものり)の和歌「ひさかたのひかりのどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ」は、1句「ひさかたの」、2句「ひかりのどけき」の「ひ」、3句「春の日に」、5句「花の散るらむ」の「は」でそれぞれ頭韻を踏んでいる。

韻律

くれないの/にしゃくのびたる/ばらのめの/はりやわらかに/はるさめのふる

この歌を注意深く発音してほしい。音から感じる歌の印象が前半と後半で大きく変化していることが感じられるだろうか。前半の1句、2句では「い」行の音(い、に、し、び)が支配的だが、3、4、5句では、「あ」行の音(ば、ら、は、や、わ、ら、か、は、さ)が支配的になる。この「い」行の音から「あ」行の音への変化が印象の差を生み出している。

来嶋靖生『短歌の技法―韻律・リズム』(飯塚書店)によると、「い」行の音は、鋭さや知的な印象を、「あ」行の音は、明るく、やさしい印象をそれぞれ与える。これを踏まえれば、この歌は、音の面から前半は鋭く、知的な印象を漂わせ、後半で明るく、やさしい印象に変化していると言える。

この音による印象の変化は、歌の意味とほぼ重なる。「い」行の音は、歌の出だしで薔薇の芽の色や高さを冷静に観察している語り手の知的な視点を想起させるし、細く尖った「針」のイメージに重なる。また「あ」行の音は、若い「針」の感触のやわらかさと春雨のやさしい雰囲気を強める効果を上げている。「針」の感触のやわらかさについては、下の「鑑賞」で解説する。

掛詞

4句に出てくる「やはらかに」は、掛詞である。掛詞は同じ音に二つの意味を持たせる表現技法である。例えば、百人一首にも入っている中納言行平の和歌「立ち別れいなばの山の峰に生ふるまつとし聞かば今帰り来ん」の場合、「いなば」に、「往(い)なば」と鳥取県の東部を指す「因幡(いなば)」を掛け、「まつ」に「松」と「待つ」を掛けている。

子規の歌では、「やはらかに」は、「針」と「春雨」を形容している。具体的には、「針やはらかに」で針の性質を、「やはらかに春雨のふる」で春雨の降る様子をそれぞれ形容している。前者の「やはらか」は、物の手触りがふんわりしていたり、弾力があったりする性質の意味で使われ、後者は、気候や性質がおだやかで柔和な様子の意味で使われている。一つの言葉を、2つの意味を持たせていることが分かる。

語句・文法

語句で説明を必要とするのは、「くれなゐ」「二尺」「伸びたる」の3つだろう。

「くれなゐ」は、赤く鮮明な色の意味で、漢字では「紅」。薔薇の新芽は、鮮やかな赤色をしている。「くれなゐ」はこれを表現している。

「尺」は、昔使われた長さの単位で、約30.3cm。「二尺」は、約60.6cmである。薔薇の新芽を付けた茎の部分を含めて60cmほど伸びていることを指す。

「伸びたる」は、「伸びる」の古語「伸ぶ」の連用形+存続の助動詞「たり」の連体形「たる」。「たり」は「~ている」という意味で動詞の連用形につく。「たり」を使うことで、「薔薇の芽が60cmほどに伸びて、今も伸び続けている」という存続のニュアンスを表現している。

鑑賞 革新する者の攻撃性

この歌の中心にあるのは、言うまでもなく「薔薇の芽の針」である。では、薔薇の芽、薔薇の針(棘)とはどのようなものなのか。改めて確認したい。

「薔薇の芽」と「針」

薔薇は、赤やピンクの花を咲かせる観賞用の植物で、木がつる状に伸びていく「つるバラ」と、樹木のように成長する「木バラ」の2種類に大別される。どちらも木の部分に無数の棘を付けている。3月ごろ、薔薇は茎から新しい芽を伸ばす。歌で「くれなゐ」と形容されているように、この新芽の葉と針(棘)は鮮やかな赤である。

薔薇の棘は、芽の段階では、細く、やわらかく、「針」と表現するのがふさわしい。それが成長するにつれて根元が太い円錐状に変わり、固さを増していく。歌の「針」は、この未発達な細くてやわらかい棘のことである。

近代化と和歌革新

この歌を理解するには、歌が詠まれた明治33(1900年)ごろの時代について理解する必要がある。明治維新以降、西洋に学び近代化を推し進めてきた日本は、初めての近代的な戦争である日清戦争(1894–1895年)を始めた。この戦争に勝利した日本は、国家として国際的な地位を手に入れた。

こうした国全体が近代化を加速させる流れ中で、文芸の世界でも近代化を目指す動きが起こった。その一つが、古いスタイルの和歌を否定し、新しい意識を表現する短歌を目指す「和歌革新運動」である。歌人の与謝野鉄幹と並んでこの運動の中心を担った子規は、「歌よみに与ふる書」(1898年)を雑誌に連載し、旧態依然とした和歌を詠む歌人たちを激しく攻撃した。和歌に代わる新しい短歌を生み出そうとする子規の周囲には、彼の志に賛同する若者らが集まった。

「針」と攻撃性

ここまで来てようやく、「薔薇の芽の針」の比喩について語ることができる。すでに説明したように、明治時代には、日本全体で近代化を推し進められていた。知識人は、古いものを否定し、新しいものを生み出すことに忙しかった。そのような時代には、新しいものを生み出そうとする者と古いものを守ろうとする者はしばしば衝突する。

しかし衝突を恐れていては、世の中にはびこる古い意識や習慣を変えられない。新しいものを生み出そうとする人の精神はおのずと攻撃性を帯びざるを得ないのだ。実際、「歌よみに与ふる書」には古い歌と歌人に対する鋭い批判が書かれている。

「美しい薔薇には棘がある」という言い方がある。美しい薔薇に、うっかり手を出すと棘が刺さって痛い思いをするという警告である。このように、薔薇の棘は、周囲に対する攻撃性の象徴でもある。

歌の語り手は、明治の時代に新しい表現としての短歌を確立しようとしていた。私の考えでは、語り手が見つめる「薔薇の芽」とまだやわらかい「針」は、自分の古い和歌との戦いを受け継ぐ後進の比喩である。

薔薇はいつしか成長し、針は硬さを増して攻撃性を備えた棘になる。語り手は、春雨を受けて伸びていく薔薇の未来に期待を抱き、やさしく見守っている。

参考文献

来嶋靖生『短歌の技法―韻律・リズム』(飯塚書店)

教科書の短歌

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