西東三鬼 算術の少年しのび泣けり夏 俳句解説 夏休みと宿題

勉強する少年俳句
勉強する少年

算術の少年しのび泣けり夏
西東三鬼

第一句集『旗』(昭和15)に収録。句集『空港』『夜の桃』に再録

西東三鬼全句集 (角川ソフィア文庫)(Amazon)

句意

夏に、少年が算数(算術)の問題を解きながら泣いていたなあ

語句と表現

算術は、算数の昔風の言い方である。「けり」は助動詞「けり」の終止形で、ここでは、詠嘆(~だったなあ)の意味で使われていると考えられる。俳句は、短い詩型なので、言葉を省略する。通常なら「算術の問題を解いている少年」と書くところを、「算術の少年」と簡潔に表現したことで、スピード感が生まれた。

後悔と恥じらいの涙

夏休みの終わりが近い日の夜、少年が宿題を終わらせようと必死に問題を解くのだが、難問で思うようにはかどらず泣いているのかもしれない。夏の間に遊びすぎたことに対する後悔の涙ということになる。「しのび」には、算数ができないことに泣く自分を恥じる少年の心情も感じられる。自我は芽生えているが、自分のできなさに涙を堪えられないという微妙な年齢なのだ。小学校4年か5年生ぐらいだろうか。

詠嘆の「けり」が使われていることから、作者がいつかの夏に見た少年のことをふと思い出して、この句を詠んだとことが分かる。いつの時代にも繰り返される夏の光景と少年の心情を鮮やかに切り取った。誰もが「算術の少年」に自分の姿を重ねられる。この句が多くの人に名句として記憶される理由である。

我が子らも泣いた

自分の子どもの頃のことはすっかり忘れていたが、我が家の子供たちを見て、算数を解きながら子どもが泣くことを思い知らされた。長男は小学校に上がる前から公文式の教室に通っていた。教室では、毎回かなりの枚数の計算問題が宿題として出される。それが多くて、彼はよく泣いていた。ただし、しのび泣きとは程遠く、大きな声を上げていた。

長男は、いま小学6年生で、もうすぐ卒業、4年生になる少しまえから進学塾に通い始め、今年の冬に受験した。春からは私立中学に通う。その妹も、公文式の教室に通い、泣きながら問題を解いた。現在小学3年生で、この春から進学塾に通い始めた。彼女は、塾や学校の宿題をときながら今でも泣いている。昨晩も彼女の泣く声が、階下の私の書斎まで響いた。その声を聞いて三鬼の「算術の少年」を思い出した。

私は算数が比較的得意な方だったが、それでも夏休みの宿題ドリルをぎりぎりまでほったらかしにして、新学期の直前にひりひりした気持ちで解いた記憶がある。むしろ苦手だったのは作文の類で、何を書いたらよいか分からず、よく母に泣きついた。

少年のモデルは息子

西東三鬼は、1900(明治33)年生まれで、岡山津山中学校(現岡山県立津山高等学校)、青山学院中等部を卒業を経て、同高等部を中退。1921年、日本歯科医学専門学校(現日本歯科大学)に進学、1925年、同校を卒業。後に歯科医院を開業した。さらに医院を廃業してから東京の神田共立病院歯科部長に就任した。歯科医になるぐらいだから算数はそれなりにできたのではと想像するが、そうでもなかったらしい。

『西東三鬼前句集』(角川ソフィア文庫)の「自句自解」で三鬼は、「算術の少年」の句について次のように語っている。

愚息は父に似て数学的頭脳を持っていない。宿題が出来ないで一人シクシク泣く。それは哀れであるし、父から見れば気の毒でもあった。

『西東三鬼前句集』(角川ソフィア文庫)「自句自解」

つまり、「少年」のモデルは息子だったわけだ。また「父に似て」とあるように息子に三鬼自身の姿を重ねていることも注意したい。しかし、作者の自作解説をもって唯一の解釈とみなすのは面白くない。作品の読み手には、想像を広げて解釈する自由があると思う。ちなみに私は、長男の言動に私の悪い面を受け継がれているのを見て暗い気持ちになることがしばしばある。とかく父は息子の中に自分の似姿を見てしまうものなのだろう。

『西東三鬼全句集』(角川ソフィア文庫)には、三鬼が残した全俳句のほか、以下が収録されていて充実している。特に2つの索引は何かと便利だ。

  • 自句自解
  • 自筆年譜
  • 解説
  • 初句索引
  • 季語索引

解説は、小説家で、俳句についての著作もある小林恭二が書いていて、読み応えがある。

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