NEW:【あらすじ・相関図】「故郷」魯迅 「悲しむべき厚い壁」を壊すために

【あらすじ・相関図】「故郷」魯迅 「悲しむべき厚い壁」を壊すために

魯迅「故郷」人物相関図小説
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中学3年の国語で学習する魯迅の小説「故郷」(竹内好訳)の解説。幼い頃、故郷で仲良く遊び、憧れもした年上の友だちと大人になってから再会する。しかし、二人の間には、壁ができていた。それは「身分」の違いがつくりだした超えられない壁である。

誰にでも小さい頃、親しくしていた友人がいる。ところが成長して、自分と友人の間に、決定的な「差」があることに気づいたとしたらどうだろう。

仮に、自分の父親は、会社の社長で、友人の父親は、その会社の社員だとする。友人の父親は、自分の父親に頭が上がらない。それは、会社以外の場所で会った場合も同じだ。そんな友人の父親の態度は、どこか卑屈に見える。

このような親の関係は、子供同士の関係にも少なからず影響を与える。いつからか、自分と友人の間にぎくしゃくしたものを感じ始める。生活レベルにも差があることが分かってくる。そうなると、何のこだわりもなく遊んでいた幼いときの気持ちには戻れない。

魯迅の小説「故郷」(竹内好訳)は、古い考えや身分制度が残っていた時代の中国の農村を舞台に、幼なじみの二人が大人になって身分や階層の「差」に気付き、心に傷を負う物語である。

あらすじと主な登場人物

「私」は、20年ぶりに帰郷する。故郷に近づくと、「わびしい」村の様子が見えて、寂寥せきりょうを感じる。帰郷の目的は人手に渡った実家の片付けだ。「私」の家は、かつては裕福だったが、父が死んでから没落し、家を手放すことになった。明渡しの期限は年内で、それまでに家財道具などを売ったり、譲ったりする。売った代金は、引っ越し先の家財道具に当てるつもりだった。

「私」は、故郷のことを片時も忘れることはなかった。しかし、実家で久々に会う人との会話から、自分も故郷の人々も変化したことを痛感する。

そんな一人、楊(ヤン)おばさんは、若い頃、豆腐屋の店番をしていて、「豆腐屋小町」と呼ばるほどの美人だった。しかし、かつての面影はない。楊おばさんが、実家を訪ねてきても、「私」はすぐに思い出せなかった。そのため、楊おばさんから嫌味を言われる。

ひそかに楽しみにしていた、幼馴染みの閏土(ルントウ)と再会する。ルントウは、「私」に「旦那さま!」と呼びかけた。このとき「私」は、二人の間に超えられない「壁」があることを知る。それは、出身階層の違いによるものだった。

「私」のおいである宏児(ホンル)とルントウの息子、水生(シュイション)は出会ってすぐ仲良く遊び始めた。幼い二人の関係はかつての「私」とルントウの関係に重なる。そして、「私」は子供らが遊ぶ様子に希望を抱く。とホンルを連れて故郷を離れる船の中で、「私」はホンルとシュイションが将来、「壁」を感じずに生きられる新しい世界が到来することを願う。

登場人物の一覧と相関図

以下に登場人物の簡単な説明を一覧にした。さらに相関図を作成した。

私(シュン)二千里離れた場所から20年ぶりに故郷に帰る。裕福な家で生まれたが、父が死んでから暮らしは苦しくなった
閏土(ルントウ)「私」の家に雇われていた小作人(農民)で6人の子がいる。息子の水生(シュイション)を連れて、「私」に会いにきた
楊(ヤン)おばさん若い頃、豆腐屋の店番をしていた。かつては美人で「豆腐屋小町」と呼ばれた
「私」の母。ホンルと故郷の家に暮らしている
宏児(ホンル)私の甥。8歳。シュイションと仲良くなる
水生(シュイション)ルントウの5番目の子
魯迅「故郷」人物相関図

時代背景

「故郷」の軸となっているのは、「私」とルントウの関係である。二人の関係には、当時の中国の社会状況が陰を落としているので、時代背景を知ることがこの作品を理解するためには欠かせない。

「私」がルントウと出会ったのは、10歳のときだった。当時は、父親が生きていて「家の暮らし向きも楽、私は坊っちゃんでいられた。さらに「私」の家に「いっしょに住んでいた親戚たちは、もう引っ越してしまった」と語る。つまり、「私」の実家は裕福で、親戚たちが一緒に住めるほど、大きな屋敷だったことが分かる。

一方、ルントウの父は、「私」の家に雇われており、「自分でも耕作するかたわら、年末や節季や年貢集めのときなどに、決った家へ来て働く」と説明されている。こうした説明から、「私」の家は、村の地主であり、ルントウの父は、「私」の家から土地を借りて農業を営んでいた小作人という関係だったと考えられる。

地主と小作人

「故郷」には、この小説の時代設定が何年だったかを明確に示す情報が書かれていない。訳注には「魯迅が一九一九年十二月、一家をあげて北京へ移転するときの股後の帰郷を下敷きにしている」と説明がある。ここでも、小説の時代設定を1919年頃として考えることにする。

当時の中国では封建的地主制が取られており、農民は収穫物から高い割合の小作料を徴収されていた。さらに収入の不足分を高利の借金で賄っていたとされる。

当時、農村人口のごく一部に過ぎない地主や富農が大半の土地を所有していた。一方、大多数を占める小作人を含む農民はわずかな土地を所有するだけで、貧困に苦しんでいた。教育の機会は十分でなく、その結果、農村部での識字率も低かった。ルントウもそうした貧しく、十分な教育を受けられなかった農民の一人だと考えられる。

知事と科挙

「私」の家の家財道具を強引に持ち去る楊おばさんは商人だが、裕福とは言えない。「私」に忘れられたことに腹を立てた彼女が、《忘れたのかい?なにしろ身分のあるお方は眼が上を向いているからね……》と嫌味を言う場面がある。続けて以下のようにまくし立てる。

《それならね、お聞きなさいよ、シュンちゃん。あんた、金持ちになったんでしょ。持ち運びだって、重くて不便ですよ。こんなガラクタ道具、じゃまだから、あたしにくれてしまいなさいよ。あたしたち貧乏人には、けつこう役に立ちますからね》
《ぼくは金持ちじゃないよ。これを売って、その金……》
《おやおや、まあまあ、知事さまになっても金持ちじゃない?げんにお妾が三人もいて、お出ましは八人かぎのかごで、それでも金持ちじゃない?フン、だまそうたって、そうはいきませんよ》

返事のしょうがないので、私は口を閉じたまま立っていた。

魯迅『故郷』(竹内好・訳)

楊おばさんは、自分のことを「あたしたち貧乏人」と語り、金持ちと貧乏人という身分の差、貧富の差をことさら強調している。ここで注目したいのは、楊おばさんが口にする「知事さま」という言葉だ。かつての中国では、知事になるには、科挙に合格し、官僚になる必要があった。

科挙は、中国で隋(ずい)の時代から清(しん)朝末期の1904年まで行われた高級官僚になるための認定試験制度のこと。科挙を受験する者は、幼い頃から専門の塾などに通って何年も勉強する。それでも合格できるのはごく一部だった。子にこうした教育の機会を与えられるのは、地主などの一部の裕福層に限られた。

楊おばさんは、「私」が子供の頃、科挙の受験勉強をしていたのを知っていたのだろう。だから故郷を離れた「私」が知事になったと考えたのだ。「私」は明確に返事をしない。恐らくは知事ではないのだろう。いずれにしても、楊おばさんとのやりとりから、「私」が高いレベルの教育を受けてきたことは推測できる。

子供時代

こうした時代背景を理解した上で、「私」とルントウの再会の場面を見てみよう。ある日の午後、帰郷した「私」は閏土(ルントウ)の訪問を受ける。

来た客は閏士である。ひと目で閏土とわかったものの、その閏土は、私の記憶にある閏士とは似もつかなかった。背丈は倍ほどになり、昔のつやのいい丸顔は、いまでは黄ばんだ色に変り、しかも深いしわがたたまれていた。眼も、かれの父親がそうであったように、まわりが赤くはれている。私は知っている。海辺で耕作するものは、一日じゅう潮風に吹かれるせいで、よくこうなる。頭には古ぼけた毛織りの帽子、身には薄手の綿入れ一枚、全身ぶるぶるふるえている。紙包みと長いきせるを手にさげている。その手も、私の記憶にある血色のいい、まるまるした手ではなく、太い、節くれ立った、しかもひび割れた、松の幹のような手である。

魯迅『故郷』

数十年ぶりの再会に胸がいっぱいになった「私」は、《ああ閏ちゃん!よく来たね……》と声をかける。一方、ルントウは、「喜びと寂しさの色」を顔に浮かべるが、「うやうやしい態度」に変わって《旦那さま!……》と応えた。ルントウから「旦那さま」と呼ばれた「私」は、言葉を失う。

私は身ぶるいしたらしかった。悲しむべき厚い壁が、ふたりの間を距ててしまったのを感じた。私は口がきけなかった。

魯迅『故郷』

「私」は変わり果てたルントウの姿を見て、失望し、「旦那さま」と呼ばれたことに傷ついた。「悲しむべき厚い壁」という言葉が、二人の立場の違いを示している。実は、帰郷して以来、「私」はルントウと再会することを心待ちにしていた。母からルントウのことを知らされた「私」は、かつて憧れた年上の少年に思いをはせる。

丸い月の晩、見渡すかぎり広がる西瓜畑に「十一、二歳の少年が、銀の首輪をつるし、鉄の刺叉さすまたを手にして立っている」。かつてのルントウである。彼は刺叉でチャーを突く。しかし、この動物は素早く、彼の股をすり抜けて逃げてしまう。猹については、訳注に「あな熊に似た動物で、この字は魯迅の造字」とある。ルントウの話しの中にだけ登場する動物ということらしい。

ルントウは罠を仕掛けて小鳥を取るのが上手だった。海辺で拾うきれいな貝殻や蛙みたいな足が生えた「跳ね魚」のことを教えてくれたのもルントウだった。高い塀に囲まれた、大きな家に住む「坊ちゃん」だった「私」は、野生児のように自然の中を遊ぶルントウの話しに心を躍らせた。

「私」がルントウと出会った10歳ごろは、「家の暮らし向きも楽」だった。だからルントウとの思い出は、「私」の中に幸福な記憶として刻まれている。西瓜畑を駆け抜けるは「私」とルントウの幸福な時代の象徴である。

しかし、大人になったルントウの姿は、記憶の中のルントウとは似ても似つかない。幸福な記憶は打ち砕かれた。だから「私」は、故郷を離れていた20年の間にルントウが受けた試練を思い、二人の間に身分の差という越えられない「悲しむべき厚い壁」があったことに改めて気づかされたのだ。

デクノボーと偶像崇拝

かつて「私」にとっての「小英雄」だったルントウは、貧しく生気のない農夫の姿に変わってしまった。「私」は、そうしたルントウの境遇を気の毒に思いながら、かなり突き放した目で見ている。

例えば、ルントウのことを「デクノボー」と表現する。

子だくさん、凶作、重い税金、兵隊、匪賊、役人、地主、みんなよってたかってかれをいじめて、デクノボーみたいな人間にしてしまったのだ。

「故郷」

「子だくさん、凶作、重い税金、兵隊、匪賊、役人、地主」と指摘しているように、ルントウが「デクノボー」になった原因は、地主制度を中心とした社会の構造にある。その責任の一端は、地主の家に生まれた「私」も負っているはずだ。当時の「私」が豊かな暮らしを享受できたのも、ルントウの父のような小作人がいて貧しい暮らしに耐えていたからだ。当然、ルントウもその犠牲になっていた。それなのに、「デクノボー」という言い方には、冷たい印象を受ける。

さらに「私」はルントウが犯した悪事についても語る。

ルントウが引き取るはずの藁の灰の中に「碗や皿を十個あまり」が隠されていた。それを楊おばさんが発見し、犯人はルントウだと推理した。それを「私」の母に伝えた楊おばさんは、「犬じらし」をつかみ、「飛ぶように走り去った」。ルントウの疑惑を「私」は母から聞かされた。

あくまでも楊おばさんの推理であり、実際にルントウが隠したのかは分からない(「私」と特別親しくしているルントウに嫉妬した楊おばさんによる狂言とも考えられる)。それでも、語り手である「私」は、又聞きという形ではあるが、ルントウがそうした悪事を働いた可能性があることを読者に示唆する。

それだけではない。ルントウの「偶像崇拝」についても批判的な見方をする。ルントウは「私」の家の家財道具から「香炉と燭台」を引き取ることを希望した。通常、香炉と燭台は、儒教で先祖を祀るため位牌(木主)と共に使われる。こうしたルントウの先祖崇拝について、「私」は「相変らずの偶像崇拝だな、いつになったら忘れるつもりかと、心ひそかにかれのことを笑った」

このように「私」は、現在のルントウを、「デクノボー」であり、人のものを黙ってくすね、古いしきたりである「偶像崇拝」から抜けられない、ダメな人間として見ている。ここには、高度な教育を受け、おそらくは近代的な思想も学んだ知識人である「私」が、古い意識のまま変われない農民を見下しているという構図がある。

ここで思い出したいのは、小説の冒頭に語られた、「私」が20年ぶりに故郷を訪問した際の心境である。

もともと故郷はこんなふうなのだ――進歩もないかわりに、私が感じるような寂蓼もありはしない。

「故郷」

「私」の中には「進歩」という価値観があり、そこからルントウを見下す構図が生まれている。「私」は「進歩」の価値観を持って、昔から変わらないままの故郷とそこで生きてきた人々と再会している。「私」にルントウや楊おばさんが、遅れた人として見えるのは必然といえる。

子供たちへの希望

ルントウが「デクノボー」になった原因が、地主制度を中心とした社会構造にあるとしたら、社会が変わらない限り、これからもルントウのような「デクノボー」は生まれ続けるということだ。しかし、社会が変わる気配はない。

「私」の故郷が20年間進歩しなかったように、この先何十年も社会は変わらず、「デクノボー」は生まれ続ける可能性は高い。「私」の中にはそうした絶望的な予感がある。しかし、こうした予感を打ち消すように、「私」は小説の終盤で、宏児(ホンル)水生(シュイション)に託して「希望」について語りだす。

思えば私と閏土との距離はまったく遠くなったが、若い世代はいまでも心がかよい合い、げんに宏児は水生のことを慕っている。(略)希望をいえば、かれらは新しい生活をもたなくてはならない。私たちの経験しなかった新しい生活を。

「故郷」

この「希望」の語り方は、これまで小説の流れからすると唐突に見える。20年進歩しなかった社会とそこで生きる人々が目の前にいる。そこで「希望」を語るには、あまりに根拠が乏しい。

それなのに、「希望」を道に喩えた最後の文「それは地上の道のようなものである。もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」が置かれる。この文は、肯定的なメッセージのように感じられるかもしれないが、「歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」という言い方は、「歩く人」がほとんどいない現状では、「希望」が実現する可能性が乏しいことを語っているとも解釈できる。

この「希望」は、絶望の深さのあまり、それから目を反らしたいがために「私」が安易に持ち出したものと思える。

この暗い印象の小説の中で、唯一の「希望」は、逆説的だが「私」が自分の「希望」を否定する自己認識にあると思う。小説の結末近くで、「私」は、自分の「希望」が、ルントウの「偶像崇拝」とそれほど変わらないという認識を語る。

いま私のいう希望も、やはり手製の偶像に過ぎぬのではないか。ただかれの望むものはすぐ手に入り、私の望むものは手に入りにくいだけだ。

『故郷』

「手製の偶像に過ぎぬのではないか」という自己批判は、先に述べた知識人が、古い意識の農民を見下す構図と「進歩」の価値観を壊している。そのことによって地主出身の「私」は、ルントウと、つまり農民(小作人)と同じ地平に立っている。「私」とルントウを隔てている「悲しむべき厚い壁」がある。

しかし、その「壁」を作り出すのに、ルントウの古い意識だけでなく、「私」の中にある「進歩」の価値観も力を借しているのではないか。そのような認識を「私」は手に入れる。知識人が高みから、古い意識の農民を批判するだけでは社会は変わらないし、「悲しむべき厚い壁」を壊せない。

「いま自分は、自分の道を歩いているとわかった」と「私」が言うとき、「自分の道」とは、農民と同じ地平に立ち、社会の変革を目指すことを意味しているにちがいない。

参考文献

国語教科書の小説・物語解説

中学・高校の国語教科書で学習する小説、物語についての解説は以下の記事を御覧ください。

【あらすじ・解説】「羅生門」芥川龍之介
【あらすじ・相関図】「走れメロス」太宰治

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