【書評】岩井圭也『この夜が明ければ』 現代の“アジール”住み込みアルバイトに集う人々

この夜が明ければカバー小説

日の当たらない人生というものがある。貧困や暴力などを受け止めた結果、罪を背負ってしまう。それでも生きようとすれば、過去を隠して生計を立てなくてはならない。岩井圭也の小説『この夜が明ければ』は、そうした日の当たらない人生のオンパレードといった趣だ。この小説の舞台は住み込みアルバイトの現場である。そのような現場は、現在における“アジール”としての機能を果たしており、特殊な事情を抱えた人が集まると思われる。登場する男女7人の人生は、それぞれちょっとしたきっかけで誰もが転落しそうな姿をしている。読者にとってあり得たかもしれないもう一つの人生だ。

あらすじ

舞台は、北海道の東端、オホーツク海に面した港町。カラフトマス加工場で互いの素性を知らない男女7人が住み込みで働く。それぞれが知られたくない過去を持ち、人間関係を断ってこの町にやってきた。最初のうちは適度な距離を保ちつつ、働いていたが、仲間の一人が死んだことで、事態は一変する。自殺か他殺か。警察へ通報すべきと主張する者、反対する者、こっそり逃げる算段をする者。腹の探り合いが始まる。自らの潔白を証明するため、否応なくそれぞれが秘密を語りだす。

主な登場人物

登場人物が多く、視点人物が何度も転換し混乱するかもしれないので、以下に整理した(※ストーリーに関連する部分があるので注意)。

工藤秀吉(通称:シュウ)
元警察官で正義感の強い青年。同僚のユイに好意を抱いている。自分はいつも正しいと信じている。

高井戸唯(ユイ)
おとなしく人見知りする女性。あるきっかけで盗聴や盗撮を止められなくなる。

田辺亮(リョウ)
人当たりがよくおっとりして見える男性。祖母の介護を押し付けられた末に放置して殺してしまう。殺人の容疑で手配されている。

佐藤真里(サトマリ)
7人の中の最年で少明るく親しみやすい性格。高校生だった17歳のとき、子供の意志を無視する親の元からに失踪した。

矢島彩子(アヤコ)
姉御肌で気が利く女性。26歳まで美容部員をしていた。子持ちの男と結婚するも暴力に耐えられず逃げ出した。

乾佳靖(イヌイ)
最年長の男性で不法残留の中国人。無口で他人とつるまない。出稼ぎに来た工場の劣悪な環境に耐えられず脱走した。

仲野大地(ダイチ)
アルバイト内でリーダー格の陽気な30代の男性。長髪で耳たぶに穴が開いている。父を継いで社長に就任するも経営に失敗した。

転落の人生:リョウの場合

7人の登場人物は、それぞれ人生の転機での選択ミスや人間関係のつまづきなどを契機として悲惨な状況に踏み込んでしてしまう。自殺か他殺かをめぐる謎解きももちろん興味深いのだが、私には、むしろ登場人物たちのそれぞれ現代的な転落のストーリーが強く印象に残った。全員の境遇を説明することはできないが、ここでは祖母の介護を放棄して死なせた容疑で手配されているリョウの過去を紹介しよう。

リョウの父は税理士で事務所を構えており、母は事務員として父をサポートした。両親は忙しく、二歳上の兄とリョウは、幼い頃から祖母に育てられた。3度の食事をつくるのはもちろん、外に遊びに連れて行くのも祖母だった。

兄は勉強ができたが、リョウはぼんやりしていて、口数が少なかいタイプ。そのため両親は、兄に目を掛け、税理士となって家業を継ぐことを期待した。

大阪の有名大学を卒業した兄は、外資系コンサルティング会社に就職。一方、リョウは、地元の工業高校を経て自動車部品メーカーに職を得た。しかし、職場の新人歓迎会で一発芸を拒否したという理由でいじめを受けるようになる。同僚から無視され、仕事についての質問にも答えてもらえない。結局21歳で会社を辞めた。

3年もたずに実家に戻ったリョウは、実家に戻りガソリンスタンドで働き始めたものの、両親から「根性がない」と責められる。

その頃、祖母は、認知症を患って寝たきりになっていた。祖父は80歳を超えており、父母は仕事で忙しい。リョウは、育ててもらった恩返しのつもりで、祖母の介護を引き受ける。祖母を施設に入れることも考えたが、祖父が反対した。

祖母をつきっきりで見る必要があり、アルバイトに支障が出た。祖母は、事あるごとに「リョウちゃん、リョウちゃん」と呼ぶ。それを聞いた家族は「呼んどるぞ」というだけで、手を貸してくれない。リョウは、家族の態度に悪態を付きたくなっても飲み込んで耐えた。

祖母の認知症はさらに進む。ケアマネジャーの勧めもあり、特別養護老人ホームへの入所を家族に提案するものの、両親は首を立てに振らない。

そんな中、祖父がくも膜下出血で入院する。祖父の世話は母が担当した。しかし、夜中にも起きて祖母を世話しなければならないリョウは、不眠で体力的にも精神的にも限界に達していた。

「介護が終われば、ようやくやりたかったことができる」とリョウは思う。一方で、本当に解放されるのかという疑念も湧く。祖母が死んだら、今度は祖父の世話を押し付けられるのではないか。近いうちに両親が要介護になる可能性かある。

リョウはついに「俺が俺の人生を生きるためには、この家を離れるしかない」という結論に達する。祖母を放置したまま、リュックサックを背負って家を出た。それ以来、住み込みの職場を転々として、北海道にたどり着いた。

リョウの人の良さが招いた悲劇だと思う。家族がリョウの性格につけ込んで、面倒な介護を都合よく押し付けているのは明らかだ。リョウはこれほど追い込まれるまで、耐えるべきではなかった。もっと早い段階で、自分の限界を認識し、助けを求めるなり、全てを放棄して家を出るなりすれば、状況は変わっていただろう。

しかし、それができないから、全てを捨てて失踪する人が少なからず出てくる。この小説では、住み込みのアルバイトが現代の“駆け込み寺”として、そうした人の受け皿となっている。現実でもこうしたケースは多いと思われる。

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