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【解説】のぼり坂のペダル踏みつつ子は叫ぶ「まっすぐ?」、そうだ、どんどんのぼれ 佐佐木幸綱 意味・表現技法

坂を自転車でのぼる少年短歌
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佐佐木幸綱の短歌「のぼり坂のペダル踏みつつ子は叫ぶ「まっすぐ?」、そうだ、どんどんのぼれ」の解説。まっすぐにそして力強く育ってほしいという、父の息子に対する思いが率直に表現されている。一方で、強い父に憧れつつも、現実に裏切られる中年の悲哀も感じられる。

佐佐木幸綱の第六歌集『金色の獅子』に収録された一首。歌集では、以下のように「五月十四日(土)頼綱へ。」という詞書(ことばがき)が付けられている。

五月十四日(土)頼綱へ。
のぼり坂のペダル踏みつつ子は叫ぶ「まっすぐ?」、そうだ、どんどんのぼれ

佐佐木幸綱『金色の獅子』

詞書とは、歌の前に置かれ、歌の題や歌を詠んだ事情などを述べたもの。「頼綱」は歌人の長男の名である。

読みと歌の意味

歌の読みは以下の通り。
のぼりざかの/ぺだるふみつつ/こはさけぶ/まっすぐ/そうだ/どんどんのぼれ

父と子がそれぞれ自転車で上り坂を走っている情景を詠んでいるのだろう。坂の途中で自転車で走りながら子が叫ぶ。「(このまま)まっすぐ(行くの)?」。少し後ろを走る父は、心の中で「そうだ、どんどん登れ」と思うが、声には出さない。こんな場面が思い浮かぶ。息子の成長に期待する父の心情を自転車で坂を登る場面を通して詠んでいるわけだ。

ここで自転車に乗っている子は、詞書にある通り、頼綱であり、父の心の内の言葉「そうだ、どんどんのぼれ」は、頼綱へのメッセージである。

歌集の後記には、「頼綱は長男の名。一九七九年生まれ」とある。この歌は「Ⅳ(一九八八年)」という章に置かれており、頼綱は10月生まれなので、この歌に詠まれた当時は8歳だったことになる。自転車の補助輪が取れて、自力で走れる範囲も広がる時期だ。

さらに詳しい解釈は下の「鑑賞」に書いた。その前に、句切れと表現技法を解説する。

句切れ・表現技法

句切れは「子は叫ぶ」の後で切れる三句切れ

表現技法としては、会話体(会話の言葉遣い)を取り入れていることが挙げられる。それを示すため子の言葉をかぎ括弧でくくり、疑問符を使っている。これらによって子が質問していることを表現している。さらに、読点を入れて、話者が子から父へと転換し、父の言葉は、鉤括弧でくくらず、声に出さない思いであることを示している。ここまでの内容を以下の表に整理しておく。

表現技法会話体、疑問符、読点
句切れ三句切れ
収録歌集『金色の獅子』(1989年)

語句・文法

口語を使った短歌で、語句、文法ともに難しいところはないので説明は省略する。

鑑賞

坂の登り方に子の成長を実感する

この短歌を理解するため、歌に詠まれた親子関係を詳しく見ていく。着目したいのが、掲出歌と同じ坂を登る場面を詠んだ以下の歌だ。『金色の獅子』の中の「まぼろしの兵」と題された一連に含まれる。

夕焼けの濃くなるころを幼子を励まして登るだらだらの坂

『金色の獅子』I(一九八二〜一九八三年)「まぼろしの兵」

ここで詠まれているのも長男・頼綱である。この歌は、「一九八二~一九八三年」に詠まれたので、頼綱が2~4歳の間の出来事である。「だらだらの坂」を上手に登れないらしいから、おそらく2~3歳だったのではないか。

これぐらいの年齢になると、体重も増え、長い距離を抱っこやおんぶで運ぶのは辛くなる。同時にまだ歩き慣れていないので、すぐ疲れて「抱っこして」とせがんだり、道端に座り込んだりする。だから父はぐずりそうになる息子のご機嫌をとるような声を掛けて、ゆるやかな坂道をなんとか歩かせようとしている場面だ。

一方「ペダル踏みつつ」の歌では、息子は8歳で、自転車で父の先を走り、坂を力強く登っていく。ともすれば、大人を置き去りにしていく勢いがある。親の中には、数年前の子が幼かった頃の記憶が鮮明に残っている。前を走る息子の背中を見て、その記憶が思い出されて、成長を頼もしく感じるとともに、この先さらに大きく成長する姿を想像する。「そうだ、どんどんのぼれ」には、そうした父親の願望が込められている。

この時期の子どもの成長は、驚くほど早く、毎日のようにできることが増えていく。そのスピードに親は驚く。子が坂道を登る2つの歌を同じ歌集に入れることで、歌人は成長していく子への感動を表現したかったのだだろう。

疲れた中年と強い父への憧れ

あっという間に成長する子に対して、父はどのような境遇にあるのか。「ペダル踏みつつ」の歌の直前に以下の歌がある。

五月十一日(水)原稿締切、あい継ぐ。
出たくなき電話もありて卯の花の憂き中年の貌の一日

五月十三日(金)ラジオ「四季の歌」一週間分録音のためNHKへ。
疲れたる顔を車窓に貼り付けて銀座の地下を深く行く電車

父が自分のことを詠んでいる歌だ。歌人は子を得たのが遅く、長男が小学生になるともはや中年と言える年齢になった。中年になると若い頃のように体は無理が利かなくなる。仕事や家庭生活が思うようにいかないことも増えてくる。

最初の歌の「電話」は、仕事に関するものだろうか。できれば居留守を使いたいのだがと、その電話のせいで一日中憂鬱な気分になる。「憂き中年の貌の一日」とはそのような状態を指している。

2首目は、歌人としての仕事でNHKに行く場面。電車の車窓に映る「疲れたる顔」は、もちろん父(歌人)自身である。中年は疲れやすいのだ。

この歌集には、他にも中年になった自分を詠んだ歌がいくつもみられる。「中年の日焼けの貌をしみじみとさらして夏の床屋に思う」「中年を男盛りなどと言い換えて楽しむ美少年という甘口の酒」という具合だ。歌人は、若さを失った自分を受け止めかねているようだ。

このような疲れた中年の姿を描く一方で、この父には、強い男でありたいという願望が強い。

父として幼き者は見上げ居りねがわくは金色の獅子とうつれよ

『金色の獅子』

歌集の題名は、この歌から取られている。子にとって父である自分は、「金色の獅子」のような強い存在でありたい、子から尊敬されたい。そんな心情を隠そうとしない。

そんな風に、強い父、かっこいい男でありたいと思うが、現実の生活では疲れた中年の姿をさらしている。

のぼり坂を勢いよく登っていく子に対して、父は人生の下り坂を歩いている。強い男、父でありたいと願うが、思うようにいかない。ここまでくれば、掲出歌が、中年の悲哀を語っていることが分かる。

参考文献

佐佐木幸綱の世界〈2〉歌集篇(河出書房新社)

国語教科書に出てくる短歌

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