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【書評】砂川文次『ブラックボックス』 暴力に取り憑かれた男の人生

砂川文次『ブラックボックス』小説
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第166回芥川賞を受賞した、砂川文次『ブラックボックス』の書評。自転車便のメッセンジャーとして働くサクマは、仕事を転々としてきた。原因は暴発する暴力衝動にある。小さなきっかけで理性を失い暴力を振るってしまう男の悲哀に満ちた人生が描かれる。

砂川文次の小説『ブラックボックス』の主人公、佐久間亮介(サクマ)は自転車便のメッセンジャーだ。自転車便とは、仕事で使う書類などを自転車で配達するサービスで、電話をすれば30分ほどで受け取りに来て、東京23区内なら1時間ほどで配達してくれる。料金は、5km程度の場合で2000円台だろう。彼らに運んでもらう間、自分は別の作業ができる。要は時間を買うのだ。メッセンジャーを題材にした映画もあり、華やかな印象があるが、この小説に書かれている通り、事故と隣り合わせでもある過酷な仕事だ。

小説は、サクマが路上を疾走する場面から始まる。

歩行者用の信号が数十メートル先で明滅を始める。それに気が付いてか、ビニール傘を差した何人かの勤め人が急ぎ足で横断歩道を駆けていく。佐久間亮介は、ドロップハンドルのポジションをブラケット部分からドロップ部分へと変えた。上体がさらに前傾になる。

砂川文次『ブラックボックス』

カッコいい。片岡義男のバイク小説を自転車に置き換えた感じのノリが続くのかなと思っていたら全然違った。サクマは、職場ですぐに問題を起こしてしまい、仕事を長く続けられない性格であることが徐々に分かってくる。大きな原因となっているのが、暴力衝動だ。サクマの中に、一度暴力衝動が立ち上がると制御不能になり、暴言を吐いたり、暴力を振るったりする。この小説は暴力衝動に振り回される男の苦難に満ちた人生を描きつつ、「暴力は絶対に許さない」という良識が通用しない暴力があるということを突きつける。

小説の前半は、メッセンジャーとしての仕事ぶりや同僚たちとの会話、思うように生きられない自分に対する自問自答が中心に語られ、やや抑えた展開。自転車についてのこだわりが強く出ているので、自転車好きな人はそれなりに楽しめそう。後半、メッセンジャーを辞めて同棲相手を妊娠させ、暴力事件を起こすあたりから、ぐっと緊迫感が増す。ただし、後半は強烈な暴力シーンがあるので注意が必要だ。

あらすじ・主な人物

(※作品の後半以降の内容に触れています)

サクマは28歳で自転車便のメッセンジャーとして働いているが、これまでに仕事をいくつも変わってきた。高校を出てすぐ自衛隊に入隊するも先輩隊員と殴り合って辞めた。不動産の営業職に就いたが社長の息子に悪態をついて1年で辞めた。その後は寮がある工場や現場で契約社員やアルバイトとして働き、行き着いたのがメッセンジャーだった。

自転車便の営業所でも悪い癖が出る。所長の滝本が、かつての同僚で今は独立した近藤のことを揶揄するのを聞いたサクマは、「そういうのダセえからやめたほうがいいっすよ」と口に出してしまう。その結果、シフトを減らされ、フードデリバリーに転じた。

サクマは、東京・三鷹にある一軒家で円佳と同棲していた。彼女とはコンビニのアルバイトで知り合ったのだが、そこでもサクマは、客といざこざを起こして辞めていた。彼らの家に、税務署から二人の調査官がやってくる。サクマに納税を督促するためだ。

サクマは、玄関口で説明を聞いていたが、調査官の一人が少し笑ったように見えた。その前に円佳から安定した仕事に就かないことをなじられて苛立っていたことも手伝って、サクマの中に暴力衝動が湧き上がる。もはや制御できない。

サクマは、手近にいた調査官にいきなり頭突きをくらわす。笑った方の調査官が逃げ出し、サクマがそれを追いかけると、偶然やってきた二人組の警察官と出くわしてしまう。サクマは制止されるが、ここでも立ち回りを演じて、腕を脱臼しながら警察官二人を負傷させ、戦闘不能に追い込む。

その後、逮捕されたサクマは刑務所に送られるが、そこでも問題を起こす……。

「気が付くと」暴発している暴力

小説の後半で、サクマの中で暴力衝動が暴発する際の意識が繰り返し語られる。暴力衝動は独特な現れ方をする。それはいつも唐突にやってきて、一度やってくるとサクマは理性を失ってしまう。例えば、税務署の調査官に頭突きを見舞った場面が典型的だ。

気が付くと中年の方は地面に転がって、鼻を両手で押さえて大声で騒いでいた。指の間から血が滴っている。自分の額から流れてくるそれは、自分のものとそいつのものとが混じり合っていた。でもなぜか他人の血と自分のそれは、肌に触れたときその違いが分かる気がした。

『ブラックボックス』

調査官の一人が「少し笑った」ように見えた。途端に暴力衝動が湧いてきて、サクマは、調査官を攻撃するのだが、その瞬間を本人は覚えていない。直前に円佳になじられて苛立っていたとしても、いきなりの頭突きは常軌を逸している。サクマはいつも「気が付いたら」、暴力事件を起こしている。なぜそうなるのか。暴力衝動が意識の外側から現れるからだ。サクマは、調査官を攻撃する前に自分の中に起こった変化を次のように語る。

自分の穴からぬっと出てきたそいつを操ることは不可能で、大体いつどこから出てくるかもわからないんだ、自分にはどうしようもない。

『ブラックボックス』

サクマの中で、暴力衝動が発生するとき、このように「穴から」何かが出てくる。あるいは、自分の中に「白い何か」が湧いてきて止められない状態になる。きっかけは、相手のちょっとした表情や気に食わない発言のこともあれば、明らかな嫌がらせのときもある。そして、意思ではコントロールできないモノに突き動かされ、気が付いたときには、目の前の人に暴力を振るっている、という事態が起こる。

「自分にはどうしようもない」とサクマは繰り返し述懐している。制御不能な暴力衝動がいつ飛び出してくるか分からないサクマ自身の体のこそが、「ブラックボックス」である。

これはもはや病気である。この暴力衝動が人生を狂わしてきたことをサクマは自覚しているが、治療を受けようとする気配はない。サクマがこのようになった原因ははっきりとしない。ただ、彼は両親と会話することがないことを明かしている。会話すると「最後は怒鳴り合いと取っ組み合い」になるという理由だ。家族の中に暴力的な雰囲気があったのかもしれない。

西村賢太作品における暴力

サクマの暴力が特異であることを示すために、他の作家の小説に描かれた暴力を参照してみたい。西村賢太の小説 『どうで死ぬ身のひと踊り』 で、主人公が同棲している女に逆上する場面がある。

私はこれに、自分でもそうとわかる程顔色が変わると、すぐさまそれを払いのけ、ベランダにいる女を半身だけ乗り出して服を掴み、室内に引きずり込んだ。それでも声が外部に響かぬよう窓だけは閉めたが、唇がわなわな震えてくるのを感じる。
「違うよ、じかに置いたらガラスケースが傷つくと思ったのよ」
弁解する女の顔に平手を放ち、廻り込みざま、尻を思いきり蹴とばしてやる。そのまま髪を掴み後ろにのけ反らせて倒し込ませると、腿の外側に爪先バージョンでのチャランポを食らわせた。

西村賢太『どうで死ぬ身のひと踊り』

「私」は、作家・藤澤清造の原稿などのコレクションしているが、それら収めたガラスケースの上に書簡軸を出していた。女が、少し前に「私」と口喧嘩した腹いせに、取り込んだ洗濯物で書簡軸に載せた。そのことに「私」は怒って暴行に及んだ。こちらも相当にひどい暴力だが、サクマのそれと比べると質が異なる。

まず「声が外部に響かぬよう」に配慮して、窓を閉めている。これから分かるように、「私」は理性を失っているようでいて実は一定の冷静さ保っている。また平手で打ち、尻を蹴り、髪を掴み、倒して腿の外を蹴る。手荒なようだが、致命的な傷を与えないように技を繰り出している。こうしたことは、感情と体をコントロールしないとできない。ちなみに「チャランポ」とは、通常は相手の腿のあたりを膝で蹴る技らしい。それを爪先でやった。腿の神経が集中する部分を狙いすます攻撃だ。

別の場面で、「私」は蹴りの狙いを外し、女の横腹に当ててしまう。女が呻くのを見て「おい、どうした」とうろたえる。やはり、「私」は意識して急所を狙わないようにしているのだ。西村の主人公の場合、命の次に大切にしている清造コレクションを手荒に扱われたことが暴行のきかっけになった。暴行に至る流れは、それなりに理解できる。対して、サクマの場合、暴力に至る理由と加えられた暴力の質が釣り合っていない。サクマは先の場面で笑われた理由が明確でないと自分でも理解していながら、逆上している。

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