赤き火事哄笑せしが今日黒し 西東三鬼
句意:赤い炎を上げて燃える火事は人が哄笑(大口を開けて笑う)しているようだったが、今日見たら黒い焼け跡になっていた。
季語(冬):火事
子供のころ、隠れん坊をしている時に火事を見た。公園の近くにある小屋の後ろに隠れて、息を潜めていると、背後に気配を感じた。振り返ると、そこにある2階建ての一軒家が炎を上げて燃えていた。火事の現場を直接見るのは初めてだったので、あまりの迫力に息を飲んだ。これは一大事だと興奮し、鬼役の友人を残したまま家に帰って親に知らせた。
消防庁の「平成30年版 消防白書」によると月別火災件数(建物火災)が一番多いのは12月で2197件、次いで1月が2185件。最も少ないのは9月で1397件となっている。火事が冬の季語であることに納得する。Twitterを見ても、火事の現場を動画付きで伝える投稿が多い気がする。建物が炎を上げている映像はやはり恐ろしい。
三鬼も哄笑する
表題の句は、「哄笑」がいかにも三鬼らしい。哄笑とは、大口をあけて笑うという意味である。この句では、火事を擬人化し、炎を人が口を開けて笑うときに閃く舌に重ねている。同時に、火事を見ていた語り手(三鬼自身)が哄笑するイメージも浮かんでくるように感じる。三鬼にはそんな狂人めいた姿がふさわしい。
翌日見たら、真っ黒な焼け跡になっている。この赤から黒への転換が見事である。
印象的な火事の句は他にもある。
火事を見し昂り妻に子に隠す 福永耕二
句意:火事を見て気持ちが昂(たか)ぶったが、そのことは妻と子に隠している。
炎には、人を高揚させる力がある。人が焚き火の周りに集まるのは、暖を取るためだけでなく、高揚感を求める側面もあるのではないか。巨大な焚き火とも言える火事を見て、この上なく興奮しても不思議ではない。だから子供の私は、親の元へ一目散に走った。
見る者の興奮と罪悪感
人が一生かけて手に入れるほどの財産が、見る間に燃え尽きる。富の消尽であり、文化人類学で言うところのポトラッチ的な側面がある。見る者が興奮するはずだ。
しかし、そこには被害者の悲しみや不幸が厳然としてある。この興奮には罪悪感が伴うのは必定である。
耕二の句には、火事を見て昂ぶった者が抱く罪悪感が表現されている。今しがた見てきた火事について語ろうとすれば、口調に興奮が交じることを避けられない。それを妻と子には悟られたくない。だから分別のある大人は、火事について口を閉ざさなければならない。
哄笑と沈黙。火事がもたらす行動の両極がここにある。
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