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【書評】渋谷直角『世界の夜は僕のもの』 美術系専門学校生が体験する90年代サブカルチャー

渋谷直角 世界の夜は僕のものマンガ
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渋谷直角のマンガ『世界の夜は僕のもの』は、東京にある美術系専門学校に通う若者の視点から1990年代のサブカルチャーの変遷を描く。音楽やファッションといったクリエイティブな仕事に憧れる若者の“イタイ”部分や東京オリンピック・パラリンピック開会式における騒動で注目された「悪趣味」文化にも触れることで、ただの懐古趣味に終わらず、当時の状況について考えるきかっけを与えてくれる。

サブカルチャーの消費者から表現する側へ

90年代はインターネットが普及していなかったので、東京の若者は、雑誌を読んだり、渋谷や六本木にある書店やレコード店、雑貨店、裏原宿のアパレルショップなどを巡たりして、最先端の文化を吸収しようとしていた。このマンガを読んで、あの頃の手探りするような感覚とサブカルチャーの流行を思い出した。

作品に登場する若者は、音楽やファッション、お笑い、漫画などに憧れ、消費しつつも、いつか表現する側になる夢を抱いている。そんな彼らの行動は、いじらしく、そして痛々しい。作者はそうした若者の“イタイ”部分も避けずに描いていてるところにこの作品の良さがある。

あらすじ・登場人物

舞台となる時代は、1990~96年。視点人物が変わる群像劇だが、中でも主人公格の三苫レオは西武線沿線に住み、90年時点で15歳という設定。作者の渋谷直角と同年齢だ。

中学時代のレオは、当時から活躍していたダウンタウンや爆笑問題といったお笑い芸人にあこがれていた。友人とコンビを組んで、ブッチャーブラザーズが主催したライブのネタ見せに参加するも、関心は音楽とファッションに次第に移っていく。カルチャー雑誌『i-D JAPAN』を毎号購入し、中古レコード店をめぐるようになる。

時は移り、大学受験に失敗したレオは、ファッションや音楽の趣味が近い人が集まっているという期待から、美術系専門学校に進学。将来自分が何をしたらよいのか迷いながらも、学校の仲間に触発され、自分の進む道を模索する成長物語である。アルバイト仲間に失恋したり、クラブで知り合った年上の女性と付き合ったりといった恋愛も経験する。

オリジナル・ラブ、小沢健二、岡崎京子

この作品には、藤原ヒロシや、漫画家の魚喃キリコ岡崎京子のほか、オリジナル・ラブ小沢健二などのミュージシャン、アパレルブランド、雑誌やマンガ誌など固有名詞が数多く登場する。

私は、地方の大学を卒業して、94年に上京し就職した。仕事は、サブカルチャーとは無縁のコンピューターシステム開発だった。それでも作品に登場する音楽にはそれなりの思い入れがある。例えば、当時は、飲み会の後にはカラオケに行くのが恒例で、オリジナル・ラブや小沢健二などはよく歌った。岡崎京子のマンガも何冊か購入した。

60〜80年代前半ぐらいに生まれた人であれば、このようなサブカル体験が少なからずあるはずで、このマンガに多数登場する固有名詞を見てきっと懐かしい気分になるだろう。もっと若い人にとっては、当時のサブカルチャー消費の実態を知る上で参考になるはずだ。

マニアックであることで優越感を保つ

レオは、有名人を真似たファッションに身を包み、中古レコード店でサンプリングのネタ元を探して、コレクションしている。そんなマニアックな自分にレオは優越感を感じている。当時は消費する音楽やファッションで自分を演出する意識が今よりも強かった気がする。

例えば、レオがバイト仲間とスキーに行った時のエピソードにそれが描かれている。レオは、バイト先の同僚、加藤まゆこのことが気になっていた。ある日まゆこから他のバイト仲間と一緒のスキーに誘われる。しかし、レオはスキーに行くことを「恥ずかしい」「ミーハー」だと思って、馬鹿にしていた。それでもまゆこと仲良くなり、クリスマスを一緒に過ごしたいという下心からスキーに参加する。

そして、自分のマニアックな音楽の趣味をアピールしようと、スキーに行く車の中で聞くBGMのカセットテープ作りに打ち込む。スライ&ザ・ファミリーストーン、マーヴィン・ゲイなどの選曲に3日掛ける力の入れようだった。しかし、まゆこらバイト仲間が好むのは、trfLUNA SEAといった当時テレビの歌番組などで人気だったグループの曲だった。彼らのそんな会話を聞いて、レオは、自分と多くの若者の趣味の違いを痛感する。

そんな状況で「渋谷系の元ネタ集」みたいなテープなど…まったく需要なんてないとレオは思い知った

結局レオは、自作カセットテープをポケットから出せずに終わった。こうしたクリエーター志望の若者の必死さと滑稽さを描いているところに批評意識を感じる。

「悪趣味」はリアルでカッコイイ

ミュージシャンの小山田圭吾が、学校時代に同級生をいじめていたことを『ROCKIN’ON JAPAN』と『QUICK JAPAN』で語っていた。それが問題となり、2021年7月19日に東京オリンピック・パラリンピックの開会式の作曲担当を辞任した。この辞任騒動によって、90年代のサブカルチャー、特に「悪趣味」文化が注目された。例えば、例えば、ゴミ漁りについて書いた村崎百郎なども90年代の「悪趣味」文化を担う一人だった。当時のサブカルチャー状況の全体像を描こうとしたら、「悪趣味」文化への言及を避けられない。この作品ではどうか。 レオが専門学校時代に付き合っていた年上のユカリの趣味を通して、悪趣味文化の一端に触れている。

ユカリのセリフ

この会話の後、地の文で「悪趣味」についての解説が入る。

この頃は、「悪趣味」とされるものは
「センスがいい」ものであった

それは「リアル」ということだ
「キレイゴト」や
「前向き」なものは
ウソ臭く…
「死」や「危険」な
匂いのするものがリアルでカッコイイのだと…

ここに当時の「悪趣味」文化のありようが的確に語られている。いつの時代にも、どこの国にもメインカルチャーがあれば、それに対抗する意識からサブカルチャーが生まれ、さらに異端としてのアンダーグラウンドカルチャーが派生する。アングラカルチャーは、そもそも常識やルールに反することが存在意義であり、眉をひそめたくなる表現の集合である。かつてのアングラカルチャーの担い手は、自分たちが世間に受け入れられないことに自覚的であり、地下的な存在としての在り方を守っていた。ところが、90年代にアングラが「カッコイイ」「センスがいい」と見なされ、一般のメディアに露出しはじめた。雑誌の編集者も媒体に先進的なイメージを付加したくてこの流れに乗っかった。

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小山田の問題となった雑誌インタビューもこうした「悪趣味」文化のトレンドの中で成立した。小山田の語ったいじめは、あきらかにルールを逸脱した行為である。それを認識していたからこそ小山田はメディアで得意気に語った。そうすることで自分が「センスがいい」人間だとアピールしようとした。

自らの行為を、武勇伝であるかのように語ってしまった小山田の見識の無さは明らかだ。それを掲載したメディアは、当時の「悪趣味」文化が含む反社会性に無批判過ぎた。小山田も雑誌も調子に乗って「悪趣味」をもてあそんだ報いを20年以上経って受けたわけだ。

この作品は、90年代のサブカルチャーの楽しく懐かしい側面だけでなく、負の部分まで視野に入れており、それによって当時の状況を立体的に描くことに成功している。

※この作品は「週刊SPA!」で2020年9月22・29日合併号から2021年10月12日号まで連載された。カバーのイラストと漫画の画風はまったく異なる。作品の一部を「日刊SPA!」で確認できる。
NetGalleyに掲載された作品を書評した

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