桜庭一樹の小説「少女を埋める」(文學界2021年9月号)については、鴻巣友季子が文芸時評で「ケア」という視点から取り上げ、母による父の介護の際に「虐待」が行われたという解釈を提示した。しかし、こうした捉え方ではこの小説の主題を十分にカバーできないのではないか。私の考えではこの小説の主題は、母と共同体への復讐である。この作品評で、その点を明らかにしたいと思う。
「虐待」解釈から復讐へ
正直にいえば、この小説を読み終わった時点で、何かを書く気持ちにはならなかった。小説の冒頭は鳥取県の観光案内のようだし、小説家である主人公・冬子が自著にサインをしたり、ゲラの校正をしたり、漫画賞の選考委員をしたりといった仕事に関する情報が目立って、小説らしくないと思ったからだ。文体に小説としての密度や緊張が欠けていると感じた。
ところが、鴻巣の文芸時評を桜庭が批判していることを知り、考えが変わった。この論争に興味を持ち、それぞれの主張を整理したまとめ記事(※)を書いた。その過程で、小説を読み返したところ、最初の印象とは別に、主人公が母と共同体に対して怒り、復讐しようとする意思が感じられた。そこに小説の読みどころがあると考えた。
※自伝的小説「少女を埋める」と続篇「キメラ」、書き下ろし「夏の終わり」の3篇を収録した書籍が発売された※桜庭・鴻巣論争の経緯については、本ブログの以下の記事(「桜庭一樹・鴻巣友季子論争まとめ」)を御覧ください。
※今回の論争を受けて桜庭一樹が書いた「キメラ――『少女を埋める』のそれから」については、 本ブログの以下の記事(【作品解説】桜庭一樹「キメラ――『少女を埋める』のそれから」)を御覧ください。
あらすじ(解釈を含む)
この小説の主人公・冬子は小説家である。彼女は、父の容体が思わしくないという連絡を母からもらって実家のある鳥取に帰郷する。久しぶりに故郷の空気に触れ、また父の看取りや葬式を行う中で、母から受けた暴力や共同体の古い価値観によって押しつぶされそうになっていたことを振り返る。
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共同体は異能者を埋める
作品の冒頭で「人柱」の説話が紹介される。地元では、城壁や土手を作るときに人柱を埋めたという言い伝えが残されているという。冬子は「人柱」についての小説の中で何度か考察し、共同体が行使する「異分子」や「異能者」に対する暴力について語る。
「美しすぎる娘、よそ者、異能者、マジョリティとは別の生き方をしようとする者は、共同体に変化を促し、平穏を乱してしまう。だからみんなで穴を掘って埋めちゃうんだよ」(23、数字は文學界2021年9月号)
「より良い状態に変化するのではなく、現状維持することが共同体における正義である以上、異分子(マイノリティ)であることは罪人であることと同義とされる」(23)
共同体における異分子、異能者は、冬子の自己像である。そのことは、冬子が小説家を志望していることを高校の担任教師に知られた時のエピソードが示している。教師は、「夢というのは叶わないものだ」と忠告し、冬子の母に「昔も作家志望の生徒がいたがなれなかった。そういう生徒は時々出てくるが、なれない」(18)と伝えた。
共同体は、「マジョリティとは別の生き方」を選ぼうとする小説家を目指す若者の可能性を否定し、マジョリティの中に埋没させようとする。それでも冬子はあきらめず、「自分の武器……故郷から逃れるために使った異能……書く力」(69)によって、東京で成功を収める。冬子は、共同体の人柱にならずに済んだわけだ。
冬子にとって最も身近である母もまた、共同体の意志の体現者である。母は、都会で仕事が軌道に乗り始めた娘に見合いさせようと、「神社の宮司と名乗る三十代半ば」の男性を東京に連れてきた。しかし、冬子は乗り気でない。それを理解した男性は、次のように母に伝えた。
「本人に会って弱い女の子だとわかった。東京で一人やっていけるはずがない。傷ついて故郷に戻ってくるから、そのとき受け止める」(54)
男性は、冬子に忠告した教師と同じく「女の子」は東京で成功できない、「夢は叶わない」という思考を共有している。母は、冬子の意思に関係なく、この男性に何度も合わせようとした。ここで母が、共同体を脱出し東京で生きる冬子を、神社の家に嫁がせて共同体に再び回収しようと考えているのは明らかだ。共同体は、異分子が存在することを容易に許さないということだ。
母の暴力
小説の冒頭では、「母と共同体への復讐」に関連してもう一つ重要な事実が明かされる。それは冬子の家族が解体したことである。
うちは父母と娘の核家族だった。平凡な、日本中にたくさんある、ごく普通の家族だった。
あの家族はなぜ解体したのだろうか?(13)
私の考えでは、家族が解体した原因は、母の暴力にあった。冬子は母の暴力を許せなかった。そのため、ある時から7年間母と話すこともなく、実家にも帰らなかったのである。冬子の母は、「家庭という密室で子供に暴力をふるうこともあった」(53)とされる。そして実際に暴力を受けた例として冬子は、高校3年生のときの事件を語る。
高三の時、母方の祖母の前で殴り、祖母が慌てて止めに入った。母が「ちがう、この子が悪いの。話を聞いてくれたらわかるから」と訴えると、祖母が「どっちが悪いという話はしてない。暴力はいけないよ」と親の顔に戻って言い聞かせた。(53)
母は、暴力のことを隠蔽したり、忘れたりする人物として描かれている。先の見合いの男性は、母によると「実の母親から暴力を受けて育ち、傷ついており、優しい母のことを理想の母親のように慕っている」。その上で冬子に「わたしも暴力を振るっていたことは絶対言わないで。嫌われたくないの」(54)と要求する。冬子はこの時、母の要求を承諾したものの、そのことを後悔した。
この見合い話の後、冬子は別の男性と結婚し、離婚した。それからまもなく父が入院する病室で冬子は母と喧嘩し、過去の暴力を問いただす場面がある。
わたしが子供のころ受けた暴力について問うと、母は「そんなこと、したことない」ときょとんとした。注意深く、その顔を見た。本当のことを言っているように見えた。では忘れてしまったのか……?「もしそんなことがあったのなら、お父さんが知らないはずない。ねえ、お父さん?そんなことあった?」と母が聞き、父はある返事をした。
それを聞き、わたしはあきらめた。(56)
ここで、冬子は、母が「本当のことを言っているように」見えるものの、「忘れてしまったのか」と疑っている。さらに、父は「ある返事をした」とあるが、その内容を冬子は語らない。この時、父は母に同意したのではないか。体が弱って母のサポートを受けざるを得ない父は、母を擁護するため〈そんなことなかった〉と暴力を否定したのだと考えられる。母と父が手を組んで暴力の事実を隠蔽する様子を見て冬子は追求を「あきらめた」のだろう。この母と父の態度に深く傷ついた冬子は、7年間は母と実家から遠ざかるのである。そして家族は解体した。
〈故意の言い落し〉で読者を誘導する
先に引用した父の返事に関してもそうだが、この小説には、説明不足に感じる個所がところどころにあり、読んでいて不満に感じた。例えば、母が冬子に暴力を口止めする場面は、母が語る内容からは、冬子が幼い頃から繰り返し暴力を受けていたと読める。しかし、幼い頃の暴力についての具体的な記述はない。
小説内で唯一、母が冬子に暴力をふるった高校3年生のときのエピソードでは、暴力の原因は文脈からして進路、つまり小説家志望についてだと推測できるが、冬子は明確に語っていない。この年齢であれば、体もそれなりに成長し、母に対抗できるだけの力もあったと考えられるのだが、何らかの抵抗をしたのか、一方的に殴られたのかもはっきりしない。そして、祖母に「暴力はいけないよ」と正論を語らせて、母にのみ非があるように描いている。
母の暴力は、親子の関係を描く上で重要な要素であり、冒頭に出てきた家族解体の主な要因であるはずだ。ところが、重要な情報を与えられないので、読者は想像するしかない。ただこれは、あえて説明を省いて読者の想像を誘導する「黙説法(故意の言い落し)」であるとも考えられる。
※次ページでは、世代間で連鎖してきた暴力と冬子が母に行使した暴力について解説する。
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