有名進学校の入試問題に出題されることで知られる作家、朝比奈あすかの『翼の翼』(光文社)は、中学受験に挑む親子の物語である。軽い気持ちで通い始めた塾が次第に大きな存在となり、親子が追い詰められていく。これから受験を迎える親にとって良い参考書になるはずだ。
長男の受験を終えたばかりで、それなりに苦い思いもあった私にとっては、いろいろ考えさせられる内容だった。以下で我が家の経験と照らし合わせながら、この小説を批評したい。
あらすじ・主な登場人物
主人公は専業主婦の有泉円佳。息子の翼は、小学二年生で有名進学塾の全国一斉実力テストを受けたことから、塾に通い始める。最優秀クラスに所属する息子に対する親の期待は高まるばかり。ママ友への見栄やプライドから円佳は受験にのめり込んでいく。一方、翼は親や祖父母の期待をひしひしと感じながらも思うように勉強に集中できず、成績を落としていく。そんな状況に業を煮やした夫・真治は、翼の勉強を見るようになるが、要領の悪い息子に苛立ちを募らせる……。
途中で降りられない怖さ
この小説で何よりも印象に残るのは、親が中学受験にのめり込み、後に引けなくなる怖さである。円佳がそうだったように、親は、子供の将来を思い、少しでも可能性を広げてあげたいと考え、子供に中学受験と塾通いを提案する。このときは、中学受験でどれほど苦しむことになるのか、親も子もそれほど深刻に考えていない。一度レールに乗って走り出したら、容易に降りられないことを……。
我が家の長男は2021年に中学を受験した。彼が小学3年生だった冬に、妻から入塾試験を受けるかどうかを相談された。まだ早いだろうという気もしたが、「本人に塾に通う気があるのなら受けてみたら」と答えた。本人は中学受験や塾でどんな勉強をするか十分に理解していなかったが、元々知的好奇心は旺盛な方であり、さらに自己評価が高いタイプで大手進学塾に通えることが自尊心をくすぐるらしく、まんざらでもない様子だった。
小説では、当初は良かった翼の成績が下降し始める頃から、家庭の雰囲気が徐々に悪くなっていく。そんな中、翼が塾のテストでカンニングした疑いがあり、円佳は失望のあまり叫んでしまう。
「あんたなんかベストチームに入りなさい!コースもちゃんと、今の実力に見合った場所に変えてもらう! 難関5でも6でも、もうどこでもいいわよ!颯ちゃんより下になってもいい!下げてもらいます!」
『翼の翼』
「い……いやだ……」
「颯ちゃんより下のクラスにします! それが嫌なら塾も受験も、全部やめなさい!」
我が家の長男は、カンニングこそしていなかったが、塾の成績が少しずつ下がっていったところは翼と似ている。入塾テストの結果はそれなりに良かったので、上のクラスに入れたのだが、このまま成績が下がれば下のクラスに降格するのは目に見えている。
上のクラスには、自発的に机に向かう子が多いのだろう。それに比べて我が子は、家で予習復習している様子がない。学校の宿題も後回しにしてなかなか手を着けない。「勉強しなさい」と言えば、机に向かいはするが、文房具やおもちゃをいじくって集中しない。当然ながらできる子との差が次第に広がっていく。勉強が好きでなくても、覚悟を決めて地道に努力すればよいのだが、それもない。
そんな様子を毎日目にしていると、親も苛立ってくる。我が家でも「高い授業料を払っているのに、勉強する気がないなら塾も受験もやめてしまえ」「いやだ。やめない」という問答が何度も繰り返され、親子ともかなり苦しく険悪な状況に追い詰めれていった。だから、円佳のいらだちや失望は、痛いほど共感できた。
引用した場面の直前では、怒りを抑えられない円佳が、塾のテキストとノートを翼に向かって投げつけた。それをやめさせようと翼が円佳の腰にしがみつき、円佳はバランスを崩して尻もちをつく。我が家でも、これに近い親子の取っ組み合いが何度もあった。
エスカレートする指導と管理
受験の算数はかなりハイレベルだ。大学の工学部を卒業した私が見ても、簡単に解けない問題は少なくない。翼の場合も、苦手の算数を強化するため、夫の真治が指導に乗り出すが、翼の勉強に取り組む姿勢に満足できずに、声を荒げてしまう。
しばらくすると、唐突に真治が大きな声を出した。
『翼の翼』
「ほら、てーをーうーごーかーすー!」
翼の肩がびくっと震える。
「なに止まってんだよ! 分かんなかったら図にしてみろって言ってんだろ! 明日、この問題が出たらどうするんだ? 止まってボーッと眺めてるのか!? 十四頭の牛が十一月に食べた草の量だろ!?十一月は三十日だろ!? 掛け算もできないのかよ!」
これもよく分かる場面だ。算数が苦手な長男を私も教えていた。そして彼も図を描こうとしなかった。問題を図に整理しないと理解できるわけがない。とにかく、分かることから図にする習慣を付けてほしいのだが、まず手が動かない。おそらく図の書き方そのものが分からないのだ。
何度言っても変わらないし、厳しく言えばあからさまに不貞腐れた表情になる。それを見ると、こちらもカチンときて、思わず手が出る。せっかく勉強を教えているのに、子供も親も不愉快な気持ちになるのでは、意味がない。そう思って、子供を教えることは塾に任せることにして、私は口を出さないことにした。これは良い判断だったと思う。
円佳の家庭では、真治が翼に勉強を教えるようになってから、暴力がエスカレートし、翼の心も荒んでいった。ついに、翼は夜中に、黙って家を出てしまう。私があのまま勉強を教え続けていたら、我が家もこんな状況に陥っていたかもしれないと思う。
学級崩壊やいじめを小学6年生の視点から描き、有名中学の入試問題に出題された朝比奈あすか『君たちは今が世界』の書評はこちら↓
中学受験を支えるイデオロギー
これほどの騒動があっても、翼は結局中学受験をする。この流れも我が家と似ている。息子は次第に無表情になっていき、妻と争うことが度々あったので、私は本気で塾も受験もやめた方がよいと考えていた。そう伝えても、妻も息子も続けたいと答えた。これほどまでに苦しい思いをして、なぜ中学受験を途中で断念できないのだろうか。
出発点に、親の子供に対する過剰な期待がある。円佳は、翼のことを「幼少期からこの子は呑み込みが早かった」「あたりの子たちよりずっと賢い」と評価していた。だから「この子にはもっとハイレベルな授業と、刺激的なライバルが必要」と考え、最大手の進学塾に入れた。そして、親の期待に応えたい、親を喜ばせたいという子供の純粋な思いがある。しかし、そう簡単ではない。翼は円佳や真治を喜ばそうとして、塾に通ったが、親が期待する成績を維持できないため、カンニングに手を染めた。親の期待と子の親への思いは家庭という密室の中で増幅される。これに周囲との競争意識や塾の営業戦略が加わり、自分たちにもコントロールできなくなる。
もう一つ、親と子を中学受験に邁進させる要素として、私立中学に通うことで人生の可能性が広がり、地元の公立中学に通うと可能性を狭めることになるという思考、イデオロギーがある。中学受験を経て、中高一貫校を卒業した真治は、中学について次のように語っている。
(中学受験に)全滅したら荒れた地元の中学に入って、俺みたいなやつは周りにつられて馬鹿になって、高校も大学も底辺だった。そうしたら、その年収の半分もなかっただろうし、結婚してマンション買って子どもを育てることなんか、できなかったんじゃないか。
『翼の翼』、()内は筆者
つまり、中学受験で合格したから今の幸せな暮らしがあるというわけだ。こうした大人の思考を子供も内面化している。家出騒動を起こした翼に、円佳は中学受験をやめさせることを伝えた。それに対して翼は、「ちゃんと勉強して、ちゃんと仕事しないと、ホームレスになるかもしれないじゃん!」。塾に行かず、公立の中学、高校に通っても仕事に就くことはできる。しかし、小学生はそんな冷静な判断はできない。真治や翼に見られるようなイデオロギーは多くの人が共有していものだろう。子供たちも大人やメディアの言説を通して、それを受け入れる。だから親も子も、一度通い始めた塾をなかなかやめられない。我が家の長男も中学を受験し、良い大学を卒業すれば、良い暮らしができると素朴に信じているようだ。
ちなみに我が家では、息子が当初目標にしていた中学に合格するためには、上のクラスの中でも上位半分ぐらいまでの成績をキープすることが望ましく、そのため何とか家でも勉強させようとしてた。しかし途中で、彼の性格からそれは無理だと判断した。彼の人生だから勉強するもしないも好きにすれば良い、塾に通いたければ塾代は払うというスタンスに切り替えた。つまり息子に対する期待値を下げた格好だ。成績が下がれば親として気にはなるが、仕方がないと考えるようになった。遊びたいさかりの小学生が、自発的に塾に通うだけでも大したものだ、こう考えるようになってから、親も子もずいぶん楽になったような気がする。
最終的に、息子は無理めの第1志望は落ちたものの、本人が納得できる中学に合格した。運動部に所属し、友達とも楽しくやっているようだ。結果として見れば、受験して良かったと言える。
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