NEW:【あらすじ・相関図】「山月記」中島敦 エリートが虎になった理由とは

【書評】羽田圭介「Phantom」 カルト集団の幻影は消えない

文學界2021年5月号小説
スポンサーリンク

羽田圭介の小説「Phantom(ファントム)」(文學界2021年5月号掲載)の書評(書籍は2021年7月14日に発売)。低所得にもかかわらず、生活を切り詰めて株に投資する女性会社員の華美。恋人の直幸はそれを否定的に見ている。そんな中、かつて無差別テロを起こした教団を想起させるカルト集団が山奥に会員を集め始める。その集団に加わった直幸を美は救い出そうとするが……。

地下鉄サリン事件の記憶

この小説には、怪しげなカルト集団が登場する。この集団がオウム真理教をモデルにしているのは明らかだ。オウム真理教の信者が地下鉄サリン事件を起こしたのが1996年。当時私は、地下鉄日比谷線を使って通勤していたのだが、その日はいつもと違う職場で前夜から泊まり込みの作業があり、事件に巻き込まれずに済んだ。もし、いつもの電車に乗っていたらと思うと今でも背筋が寒くなる。

この作品を読んで、遠い記憶が呼び覚まされた。25年も前のことで、多くの人が忘れてしまい、また若い人が知らずにいる「オウム的」なものが、現代に姿を変えてよみがえるとしたら……。そうした可能性を、この作品は示唆している。私はまず、このカルト集団の描かれ方に興味を引かれた。

あらすじ・登場人物

カルト集団に触れる前に、作品の全体像を説明したい。作品の軸となるのは、2つの生き方(価値観)の対立である。1つは、生活を切り詰めて捻出した金を投資して、資産を増やし将来に備える「生き方A」。もう1つは、金を貯め込むのではなく、今の幸せのために積極的に使う「生き方B」だ。

前者の生き方Aは、主人公の華美が体現している。彼女は、外資系食品メーカーの工場で経理を担当する32歳。年収は250万円ほどで、倹約生活をしながら資金を捻出し、少しずつ株を買い増している。株の配当で現在の年収程度の収入を得ることを目指している。

後者の生き方Bは、華美の恋人である直幸が実践する。彼は、華美と同じ工場で働き、年齢は同じで、年収も華美と同じ200万円台。しかし、華美の株式投資を否定的に見ている。

「華美も他人の会社に投資するより、自分に投資したほうがいいよ」

「まだ価値があるうちにお金なんか使っちゃって、幸せな体験に変換したほうがいいよ。使わない金は、死んでるのと同じなんだし」

「Phantom」

直幸は、こんなふうに華美を批判する。華美も直幸の主張に「一理ある」と認めざるを得ないが、投資を継続する。一方、直幸は、社会に批判的なカルト集団の活動に深入りしている。直幸が、華美を批判する背景には、このカルト集団の思想がある。

華美と直幸の対立と関係の行く末、またオウム真理教の現代版ともいえるカルト集団の在り方が、この作品の読みどころである。

低所得者のデートは「自炊での食事かセックスばかり」

華美と直幸は、低所得層に属する。国税庁が発表した2019年の「民間給与実態統計調査」では、平均給与は436万円、年齢別の30~34歳の場合で410万円となっている。平均から見ても華美たちの給与はかなり低いレベルにある。

この作品では、郊外に暮らす彼らの荒涼とした生活も興味深い。華美は一人暮らしのアパートから軽自動車で通勤している。家賃4万円のURに住み、昼食は手作り弁当。会社帰りにスーパーに立ち寄り、見切り品の野菜を購入する。節約のためタバコもやめた。直幸とのデートは、もっぱら華美の部屋で「会えば自炊での食事かセックスばかり」だ。

大学時代の仲間から届いた結婚式二次会の招待状への対応には、華美が金の使いみちをどのような基準で判断しているかが象徴的に表れている。彼女は、会費と交通費、三次会の会費の合計金額と、株を買った場合の利回り比較した結果、欠席の返事を返すのだ。その結果、仲間から誘われなくなる。

そんな華美を、直幸は「金儲けのための投資にとりつかれた人は、お金の使い方で周囲に不快な思いをさせながら、今後も生きていくんでしょうね」と突き放して見ている。

資産家の惨めな生活

華美がこうまでして、投資に入れ込んでいる背景に、生活の不安がある。千葉工場では、米国本社の意向を反映して、家賃補助が減額されたり、工員がリストラされたりする。明日は、我が身だ。だから華美は、米国本社の株を買い、「会社から搾取する側にまわりたい」と考える。本社の株を所有し、配当の形で利益を吸い上げることで、低所得者でありながらも「強さ」を手に入れ、自尊心を保つことができるからだ。

一方で華美は、切り詰めた生活が、はたして豊かな人生といえるのかと疑問を抱いてもいる。無料投資セミナーに参加した華美は、1億円以上の金融資産を持つ年配男性たちと出会いがく然とする。「ペットボトルに水道水を入れて持参」「タイヤメーカーブランドのスニーカー」を履いているといった資産家たちの描き方も皮肉が利いていて面白い。

彼らは金の使い方を見失い、もはや倹約そのものが目的と化してしまっている。華美は自分が将来彼らのようになることを想像し、危機感を抱く。読者は、こうした華美の自己批評の視線とともに、金と「幸せ」や「豊かさ」について考えさせられることになる。

現代版オウム真理教はサウナとヨガから生まれるか

(※作品終盤の内容に言及しています。未読の方はご注意ください)

ここからは、直幸が関わるカルト集団について見ていきたい。この集団は、「末(スエ)」と呼ばれる人物が立ち上げたコミュニティで、「ムラ」と呼ばれる。末は、「焼き鳥屋の店主やったり、映画監督、編プロ、コンサル、歌手、若手たちが住むアパートの大家とか、色々やってる人」とされ、『解脱3.0』という自己啓発本の類も書いている。今でいうインフルエンサーのようなものか。彼は、SNSを活用してサークルを運営し、すでに3500人の有料会員を集めている。この会員組織が「ムラ」の母体である。

ムラの中では、会員が自分の専門や知識を生かして誰かの活動をサポートするとその対価として「シンライ」と呼ばれるポイントを得る。このポイント制度を地域限定通貨のようにして、経済を回している。そしてスエは、このシンライ制度を普及させることで、既存の金融システムに置き換えるという構想を持っている。

スエは、長野の山奥に、リアルなムラを作り、移住者を募り始める。実際の移住者の中には、医者のような高額所得者も多く、家や高級車を売り払ってムラにやってくる。直幸は、ムラの中枢メンバーに近い立場で、移住者の募集に関わっている。このあたりは、オウム真理教の出家信者が全財産を教団に寄付していたところに似ている。

このムラでの活動が詳しく説明されているのだが、それは連合赤軍オウム真理教をミックスしたようなひどいものである。ムラでは、外界との接触を禁じられ、空腹や短眠の状態で、ヨガや激しい運動、瞑想とサウナを強制される。また「自己批判」と称して、自分を批判し、他の人からも批判され、号泣した後、アルコールを大量に飲まされ、最後にスエからよく頑張ったとねぎらわれるという儀式も行われている。

最近、Youtubeを見ていると、ヨガやサウナの動画が流行っていたり、芸人が山を購入し、コミュニティを立ち上げたりと、この作品が指摘しているような要素は一部で流行している。またオンラインサロンのように、信奉者を手軽に集める仕組みも整っている。影響力のあるカリスマが、これらの要素に社会批判の理念を組み合わせてアピールしたら、世の中に不満を抱いている人々から支持され、凶悪な集団が生まれるかもしれない。そう思わせるリアリティをムラの描写に感じた。

「ちょっと大げさでしょ」と思う人がいるかもしれない。そういう人には、オウム真理教も、当初は平凡なヨガ道場としてスタートしたことを指摘したい。この教団は、かつてはゾウのような耳と鼻がついた帽子をかぶった信者たちが、駅前で踊るようなツッコミどころの多い集団だったが、いつからか多くの出家信者を集め、広大な教団施設を構築し、急速に武装カルト教団としてのかたちを整えていった。その結果が地下鉄サリン事件である。それを考えれば、「ムラ」が先鋭化し、社会に牙を剥くことはないとは言えない。

ちなみに、華美は、傭兵を雇って直幸を奪還しようと画策する。その結末についてはここでは触れない。だが、物語の最後に用意された「どんでん返し」については書いておきたい。華美はコスプレイヤーの活動を通して、「影響力」を手にすることに目覚め、アマチュアカメラマンを集めた有料の会員組織を立ち上げる決心をする。そして、あれほど強固だった倹約思想を捨て、「お金を今使ってしまってはじめて、今を生きられる」という思想に転向する。驚いたことに、ここに至って華美は、自らが批判してきた直幸とスエたちの立場に近寄ってしまうのだ。華美がこの会員組織を新しい「ムラ」に育てるかどうかは分からない。しかし、オウム真理教の幻影(Phantom)が、至るところに潜んでいて、憑依するかもしれないことは覚えておいた方がよさそうだ。


羽田圭介の作品(Amazon)

コメント

タイトルとURLをコピーしました