住所のない生活なんて考えたことがない。あるのが当たり前だと思い込んでいる住所がないとどうなるか。まず、自分が住んでいる場所を示すことができない。はがきやダイレクトメールなどの郵便物がきっと届かないし、毎日のように注文するネット通販の商品がいつまで経っても届かない。不便極まりない生活だ。
『世界の住所の物語』(原書房)の冒頭に、米国のウェストバージニアには、今でも住所のない地域があるという話が出てくる。その地域の住民は、郵便物を郵便局で受け取るしかない。かなり不便だと思うのだが、ウェストバージニアの住民の多くは、住所を欲しがっていないそうだ。「誰もが顔見知りなのだから通りの名称は必要ない、と反対者たちは繰り返した」。誰かの家を探して迷っている人がいたら、そこら辺の人に聞けばよいという考えらしい。
それに対する著者の考えはこうだ。「住所は緊急サービスのためだけに存在するのではない。住所があると、人に見つかったり、警察の取り締まりにあったり、課税されたり、郵便で不要なものを売りつけられたりするのだ」。こうした主張から分かる通り、著者は、住所がないことに反対ではない。後で見るように、住所を持つことが意味するマイナス面に読者の注意を向けようとする。
住所がもたらす利便性と管理・統治の強化

本書は、ロンドンやベルリンなど様々な都市における住所にまつわる様々なエピソードを紹介しながら、住所には2つの側面があることを示す。1つの側面は、利便性であり、もう1つの側面は、国や行政による管理あるいは統治の強化である。
住所が持つ2つの側面
1 利便性
2 管理・統治の強化
著者のディアドラ・マスクは、住所の利便性は認めつつも、先の引用から推測できるように、どちらかと言えば後者、つまり管理や統治の側面に注意を促す。「住所は、権力というものが何世紀にもわたっていかに推移し、広がったかという壮大な物語を伝えている」。住所という身近な存在に、権力の意思が張り付いていることを読者に訴えることに著者の狙いはある。その狙いは、目次の分類にも表れている。
本書は、全14章に序文と結びが付く構成だが、数章ずつ「発展」「起源」「政治」「人種」「階級と地位」という具合に分類されている。後半に住所の背後にある政治を解説することに重心が移ってくる。
著者が主張する住所の2つの側面を具体的に見てみよう。
まず住所の利便性だ。これには、先に挙げた郵便物の配達以外に、救急車が迷わず目的の場所に到達できることがある。また人々を貧困から救済するための基礎になることも含まれる。住所があることで、人は銀行口座を作り、仕事につくことができるからだ。
実際、第1章で著者は、貧困救済の目的で、インドのコルカタにあるスラム街に住所を付与するプロジェクトが紹介する。住所があることで銀行口座を作れ、融資を受けることもできる。さらに「そこに住む人々は社会の一員になれた気がして自信を持てる」というメリットもあるという。
一方、管理・統治の側面として、著者は、政治権力がプロパガンダの道具として通りの名称を利用する例を挙げる。第二次世界大戦後、東ドイツのソビエト占領地域では、通りに反ナチス派の活動家や左派の哲学者、革命家、共産主義の殉教者などの名前が付けられた。ロシアにはレーニンにちなんだ名称の大通りが4000本以上あるという。
欧州や米国では、一般的に住所が通りにひも付けられる。そのため通りの名称が、しばしば対立するグループによる争いの種になってきた。革新派も保守派も住民の意向に関係なく自分たちの党派に属する偉人の名前を通りに付けようとするのだ。
南軍リーダーの名を冠した通りが示すもの
著者は、アフリカ系アメリカ人であり、米国の都市についても多く取り上げている。第10章では、フロリダ州などで、「白人優越主義」のイデオロギーを示すために通りの名称が使われる例を紹介する。
同州の黒人居住区では、南北戦争で功績を上げた南軍の軍人の名を冠した通りがある。それらの通りの名称変更を求めて市議会に通い続けるアフリカ系アメリカ人が登場する。南部では、南軍のリーダーの名にちなんだ通りが1000本以上あるという。それどころか、北軍側のオハイオ州やペンシルバニア州にも同じような南軍のリーダーの名が付けられた通りがある。そのことに著者は「これは単に敗戦者たちが自分たちの英雄を称えているという話ではない。南部連合はアメリカという国を滅ぼすために戦ったというのに、アメリカ自体がその南部連合を称えたがっている」と憤る。
米国では、警官による黒人殺害がきっかけとなり、「Black Lives Matter(黒人の命は大切だ)」運動が広がった。著者は、こうした人種差別が根深く残る現状は、先に述べた通りの名前や南部連合軍の英雄を称える記念碑の存続を許すアメリカ人の鈍感さを結びつけている。
デジタルが解決する住所問題
本書の最後に、著者は地理的な座標を「toned.melt.ship」といった3つの単語の組み合わせで表す「what3words」などのITを駆使したサービスが登場したことで、近い将来、住所が付与されていない地域の問題を解決するだろう状況を紹介する。
その一方で、「一八世紀、役人が家にやって来て濃いインクでドア番号を書いて回ると、住民は激しく抗議した。彼らは好むと好まざるとに関わらず、新しくつけられた番号によって自分たちが見つけられ、徴税され、捜査され、統治されるようになったことを理解した」と書きつける。住所が便利な生活をもたらすと同時に、人々の自由を奪う道具になる。本書は、住所や通りの名称が変更されたり、新たに付与されたりするとき、そこにどのような権力の意志が作動しているかに注意を払う必要があることを気づかせてくれる。
(※本書評は、メールマガジン「[書評]のメルマガ 」献本読者書評として執筆した)
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